「大丈夫、何とかなる」
我々の日常生活において、予想外のハプニングやトラブルに負けないよう自分を鼓舞する時にも使ったりするし
この言葉で身近な人から励まされたりすることはあるだろう。
では、果たしてその後、本当に「何とかなっている」のだろうか?
例えば
◆詐欺に遭い、多額な借金を抱えた
→知り合いに一時的にお金を借りた
→がむしゃらに働き返済
◆仕事で大きなミスを犯した
→素早く対応した
→上司や同僚に助けてもらった
◆勤めていた会社が倒産した
→別の会社の求人をくまなく探した
→友人の会社からお誘いがかかった
◆重篤な病気を患った
→家族や友人の献身的な看護があった
→医療の発展が追いつき完治した
◆大好きな彼氏彼女と大喧嘩をして別れた
→反省に反省を繰り返し本気で謝り復縁
→仲の良い友達にも助けてもらった
◆友達がひとりも居なくなった
→ひとりでも楽しめるようになった
→友達ではないまでも、仲間はできた
これらのケースは、「何とかなった」例である。
いやいや
「現実は甘くないでしょ」
「そんなふうにうまくいかないよ」
といった声も聞こえてきそうだ。
では、これらのようにならなければ「何とかなっている」とは言えないのか? そう言ってはダメなのか?
私としては「そうとは限らない」と思っている。
その理由として、逆に「何とかならなかった」という場面を想像してほしい。
・借金を返せなかった
・新しい仕事が見つからなかった
・病気が治らなかった
・大好きな彼氏彼女と復縁できなかった
・ひとりで楽しめず孤独を感じている
これらは一見、何とかなっていないかもしれない。
だが・・・自分が今、この地に足をつけて生きているのなら、生活の営みを継続できているのなら、これはつまり「何とかなっている」と言っていいのだと私は思う。
同じ内容でのマイナスをプラスにできないのなら別の手段、代替手段でプラスにしていけばいい。
もっと言えば人生とは「死ぬまでの時間」のことであり、
今という時間はあくまで「過程」である。
そりゃ、道中には辛いこともあるだろう。
でもあきらめず行動すれば、
助けてくれる人に出会えるかもしれない
改善策のヒントを拾えるかもしれない
生きていれば「何とかする」ためのチャレンジは何度でもできる。
どんな逆境においても何とかするためにどうにか「今を生きている」
くじけない
あきらめないへたりこんだら、上を向く
上を向けたなら、前を向く
立ち上がる
そしたら1ミリでも歩いてみる
それがつまり
人生を何とかしていく
人生が何とかなっていく
といった行動となり、
結果として、
【人生は何とかなっている】と言えるのだ。