「嘘も方便」という諺もあるように、時と場合によっては、嘘をついた方が上手くことが運ぶという場面も往々にしてある。
しかし、一般的に「嘘をつく」という行為はあまり褒められたものではない。
なぜなら、人間関係において、トラブルを招きかねないからだ。
ただ、嘘がバレずに、そのまま進むことだってある。
まあ、それも結果論であり、常に大事になるかもしれないリスクは背負うことになる。
今述べているのは、自分が周りの人に嘘をついた場合。
ではこれが、 ”自分で自分に嘘をついた場合” はどうなのか?
例えば、
本当は居心地が悪く、たいして面白くもなく、別のことがやりたいと思いながら働いている職場で、「自分は望んで職場に居る。まあ面白いし、頼りになる上司、話を聞いてくれる同僚がいてくれる。こんな良い職場はない。辞めずに頑張ろう」
本当は好きでもなく愛してもなく楽しくもなく、腹の底では不平や不満がある彼氏彼女、夫婦関係で、「いつも優しくしてくれる。よく働き、よく家事もしてくれる。一緒に出かけると楽しい。話が合う。経済的にも問題ない。だから一緒に居るし、居たいと思う」
本当は、愚痴ばかり、説教や否定、命令、過干渉、束縛により嫌な親子関係で「なんて良い親なんだろう。いつも自分のことを気にかけてくれるし優しい。いろんなところへ連れていってくれるし、おこづかいもたくさんくれるし、学費もちゃんと貯めてくれている。こんな良い親はいない。離れずにいよう」
職場、異性関係、夫婦関係、親子関係での例を挙げてみたが、どうだろうか?
実は薄々、「もうしんどいのかも…」「もう無理かもしれない」と思っていたり、はたまた、すでに「破綻している」状況であるにもかかわらず、
「生活のため」、「子どものため」、「将来のため」に我慢し続けている人もいるのではないか?
しかし、同時に【世の中ってそんな関係性ばっかりじゃないの?】と聞こえてきそうな感じもする。
①本当に居たいから、幸せだから「今ここに居る」。
②実は本当は居たくないのに、もう別の場所、別の方向に行きたい。でも我慢して「今ここに居る」。
③「我慢して」というのは惨めに感じるから「自分は居たいから居る。幸せだと思うから居る」と自分に言い聞かす。自分に嘘をつく。自分の感情にフタをしてしまう。
本当に幸せと思っているならそれでいいし、嫌だと思いながらも諸事情により、何とか踏ん張っているのもまだいい。
しかし、自分に「楽しい、幸せだ、好きだから」と嘘をついてまでその場に居続ける生き方は、結局「他人の人生」を生きていることにならないだろうか?
また、自分を何とかだましだまし欺いているうちはいいが、ふと自分の本来の感情に戻った瞬間に、そのギャップにやられて、ひどくメンタルが落ちていく可能性も秘めている。
そうなると、「自分は幸せだったはず」「でもしんどさもあったのか? 嫌だったのか?」と、葛藤の日々が始まり、疲弊してしまう。
現状に気づき、「自己洞察」ができていれば、「どうにか変えていこう」と策を講じることはできる。
しかし、感情にフタをし、自分に嘘をつくことだけになれば、ほころびが出た時点で、大きな支障が出る可能性は高い。
自分の本当の感情はどうなのか?
本当はどうしたいと思っているのか?
自分に嘘はついていないのか?
今すぐに変えられない環境もあるが、今の感情を受け入れた上での考えなのか?
それとも偽りの考えなのか?
今一度考えてみてほしい。
自分軸、自分の人生はたった一度きり。
あくまでポジティブに。