「ホットポテト理論」(加筆修正版)

 広告

皆さんは「ホットポテト理論」という言葉を聞いたことがあるだろうか?

これは心理学の交流分析理論のファニタ・イングリッシュ博士が提唱している理論である。

この理論は、例えば集団で行うゲーム内で、「普段個人だと運が悪くないのに、集団となると途端に運が悪くなる」ことを言う。

ちなみにこの理論の名称についている「ホットポテト」というのは、元々アメリカの爆弾ゲームで、人が円になって熱々のポテトを回し、音楽が止まった時点でそのポテトを持っていた人が罰ゲームをする遊びである。日本では、トランプのババ抜き、ハンカチ落としがそれにあたるだろう。集団で行うジャンケンなどもそうなのかもしれない。

これらに共通しているのは、集団の中で「敗者」を生み出すこと。そして皆は当然「敗者」にはなりたくない意識が働く。

そこでで思い出していただきたい。トランプやハンカチ落とし等の遊びをすると、いつも同じ人が敗者になっていた記憶はないだろうか?

この理屈をファニタ・イングリッシュ博士は、「実は敗者は最初から決まっている」と説明している。

そしてこの敗者は必ず「傷つきやすく、支配されやすく、いじめやすそうな人」になっているというのである。

なぜなら、「傷つきやすく、支配されやすく、いじめやすそうな人」というのは、「自らが自己犠牲を行うシナリオを書いている人だから」だそうだ。

 広告

「自分には運がないからしょうがない」

「自分が負ければ場が盛り上がる」

「他の人が負けるのは気の毒だ」

「負けるのは嫌だけど、まあいいや」

先程も述べたとおり、誰もが敗者にはなりたくはない。これは当然と言える。よって各々が自分以外の誰かをターゲットにしていくわけだが、これが集団心理。

暗黙に「傷つきやすい、支配しやすい、いじめられやすい」誰かに攻撃が集中するわけである。

一見「フェア」のようであるが、実は「フェア」ではない。

そしてターゲットにされた人は、さっきのように自分を犠牲にし、その場をやり過ごすといった、言わば負のループの常態に陥ってしまう。

この「自己犠牲」はとても厄介で、一度この考えに染まってしまうとなかなか脱出することができない。もっと言うと、いくらこの「自己犠牲」を続けていこうとしても、やがてメンタルに限界が来て、身も心も崩壊する。

少し横道にそれてしまったが「ホットポテト理論」とは、いくら自分が罰ゲームを受けたくなかったとしても、周りからの暗黙の同調圧力や自身の自己犠牲的な思考(ネガティブ思考)、自己肯定感が低さから、自ら「敗者」を引き受けてしまっている。

つまり、【その自身の作ったシナリオ通りに事が運んでいる】というわけだ。

 広告

長い人生において、親子関係、兄弟関係、友人関係、師弟関係の間で「自己犠牲」が必要とされる場面はあるかもしれない。しかし決してそれを常態化させてはならない。

幸せなどはそこに存在しない。

そうした常態から脱却して充実した人生を送るには、「自己犠牲」の思考を捨てなければならない。

人間とは、元来群を成して、協力しながら生活していくもの。しかしその群れが自身にとって不利益になる群、居心地が悪い群なのであれば、もはやそこにいる必要はない。

また、自分の意思や考えを、ふだんから相手や周りの皆に発信しておくことも重要。

ここで言っておくが、悪いのはあくまでターゲットにしようとする側である。しかしターゲットにされる側についても努力やちょっとした勇気で変えていける可能性があるのも事実。

急にお金持ちになるのは無理。

急にやせるのは無理。

急に仲良くなるのは無理。

これらと同じように、当然「急に思考を変えていく」のも無理。

一朝一夕ではありえない。そんな簡単なものではない。

大切なのは、今の自分に気づき、今の自分を受け入れ、

毎日少しずつでも考え方を変えようと意識し、それを実行していくこと。

そして、毎日鏡に向かってこう話しかけよう。

「今日の自分もよくやった」と。

以上