「ゴッドマン率」〜ネガティブな内容を上手に伝える方法〜とは?

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普段の生活において、

注意、指摘、警告など、

「どうしても言っておいた方が良いこと」
「言っておかなければならないこと」

これらを伝えるのに躊躇した経験はないだろうか?

・親子関係

・上司部下の関係

・夫婦関係

・友人関係

今が良い関係性であればあるほど、言いにくかったりするはずだ。

しかし、どうしても相手に伝えなければならない場面があるのは否めない。

では、言いにくいネガティブな内容をどのように伝えれば良いのだろうか?

答えは、

【ネガティブ内容を伝える以上に、ポジティブな内容も伝える】である。

このポジティブな内容とネガティブな内容の比率を【ゴッドマン率】といい、

これを提唱したのが、「ジョン・ゴッドマン博士」である。

ゴッドマン博士は、ワシントン大学(心理学)の名誉教授であり、特に夫婦関係の研究で知られるのだが、

上記に挙げた、それぞれの関係性における比率をこう論じている。

・親子間
  =ポジティブ③:ネガティブ①

・上司部下間
  =ポジティブ④:ネガティブ①

・夫婦間(カップルも含む)
  =ポジティブ⑤:ネガティブ①

・友人間
  =ポジティブ⑧:ネガティブ①

お気付きだろうか?

そう、自由度が”高い”関係性になればなるほど、ネガティブな言葉を伝えるには、ポジティブな言葉を”多目”に伝えなければならない。

なぜなら、自由度が”高い”関係性(夫婦、友人)というのは、「その気になれば容易に断つことができてしまう関係性」だからだ。

一方、自由度が”低い”関係性(親子、上司部下)というのは、自分の意思で断つ、あるいは覆すことができない深い関係性の為、少々ネガティブな割合が増えても簡単に崩れることはない。

どうだろう?

普段のあなたに、この比率はあてはまっているだろうか?

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人は誰しも否定的なこと言われると嫌な気持ちになる。

そして、その人の話に聞く耳を持たなくなる。

相手をいち人間として対等に思ったり、大切だと思うのなら、

是非ともその人の「良い部分」や「強み(ストレングス)」に目を向けてほしい。

但し、これだけは言っておきたい。

自分がしんどい状態(自己を否定してまっている状態)だと、相手のポジティブさを映し出すはずのメガネがくもってしまう。

しんどい時は休もう。

しんどい時はリフレッシュしよう。

しんどい時は自分を許そう。

そして、正常なメガネで相手を見て、
相手を肯定したり、ポジティブな面をどんどん伝えていこう。

そうしていくと、少々ネガティブな面を伝えたところで、

簡単に相互の関係は崩れない。

「ホットポテト理論」(加筆修正版)

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皆さんは「ホットポテト理論」という言葉を聞いたことがあるだろうか?

これは心理学の交流分析理論のファニタ・イングリッシュ博士が提唱している理論である。

この理論は、例えば集団で行うゲーム内で、「普段個人だと運が悪くないのに、集団となると途端に運が悪くなる」ことを言う。

ちなみにこの理論の名称についている「ホットポテト」というのは、元々アメリカの爆弾ゲームで、人が円になって熱々のポテトを回し、音楽が止まった時点でそのポテトを持っていた人が罰ゲームをする遊びである。日本では、トランプのババ抜き、ハンカチ落としがそれにあたるだろう。集団で行うジャンケンなどもそうなのかもしれない。

これらに共通しているのは、集団の中で「敗者」を生み出すこと。そして皆は当然「敗者」にはなりたくない意識が働く。

そこでで思い出していただきたい。トランプやハンカチ落とし等の遊びをすると、いつも同じ人が敗者になっていた記憶はないだろうか?

この理屈をファニタ・イングリッシュ博士は、「実は敗者は最初から決まっている」と説明している。

そしてこの敗者は必ず「傷つきやすく、支配されやすく、いじめやすそうな人」になっているというのである。

なぜなら、「傷つきやすく、支配されやすく、いじめやすそうな人」というのは、「自らが自己犠牲を行うシナリオを書いている人だから」だそうだ。

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「自分には運がないからしょうがない」

「自分が負ければ場が盛り上がる」

「他の人が負けるのは気の毒だ」

「負けるのは嫌だけど、まあいいや」

先程も述べたとおり、誰もが敗者にはなりたくはない。これは当然と言える。よって各々が自分以外の誰かをターゲットにしていくわけだが、これが集団心理。

暗黙に「傷つきやすい、支配しやすい、いじめられやすい」誰かに攻撃が集中するわけである。

一見「フェア」のようであるが、実は「フェア」ではない。

そしてターゲットにされた人は、さっきのように自分を犠牲にし、その場をやり過ごすといった、言わば負のループの常態に陥ってしまう。

この「自己犠牲」はとても厄介で、一度この考えに染まってしまうとなかなか脱出することができない。もっと言うと、いくらこの「自己犠牲」を続けていこうとしても、やがてメンタルに限界が来て、身も心も崩壊する。

少し横道にそれてしまったが「ホットポテト理論」とは、いくら自分が罰ゲームを受けたくなかったとしても、周りからの暗黙の同調圧力や自身の自己犠牲的な思考(ネガティブ思考)、自己肯定感が低さから、自ら「敗者」を引き受けてしまっている。

つまり、【その自身の作ったシナリオ通りに事が運んでいる】というわけだ。

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長い人生において、親子関係、兄弟関係、友人関係、師弟関係の間で「自己犠牲」が必要とされる場面はあるかもしれない。しかし決してそれを常態化させてはならない。

幸せなどはそこに存在しない。

そうした常態から脱却して充実した人生を送るには、「自己犠牲」の思考を捨てなければならない。

人間とは、元来群を成して、協力しながら生活していくもの。しかしその群れが自身にとって不利益になる群、居心地が悪い群なのであれば、もはやそこにいる必要はない。

また、自分の意思や考えを、ふだんから相手や周りの皆に発信しておくことも重要。

ここで言っておくが、悪いのはあくまでターゲットにしようとする側である。しかしターゲットにされる側についても努力やちょっとした勇気で変えていける可能性があるのも事実。

急にお金持ちになるのは無理。

急にやせるのは無理。

急に仲良くなるのは無理。

これらと同じように、当然「急に思考を変えていく」のも無理。

一朝一夕ではありえない。そんな簡単なものではない。

大切なのは、今の自分に気づき、今の自分を受け入れ、

毎日少しずつでも考え方を変えようと意識し、それを実行していくこと。

そして、毎日鏡に向かってこう話しかけよう。

「今日の自分もよくやった」と。

以上

挑戦し続けることが、そもそも「成功」である理由

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『今』というこの時間に集中して有意義に過ごすこと。

これはマインドフルネス的な時間といえ、私的にも推奨したい考えである。

一方で、

「ああやってしまった、失敗した…」

「こんなはずじゃなかったのに…」

「もうどうにもならない、終わった…」

などと、何らかの失敗体験によって、

あたかも人生の終焉のように『今』を嘆いている人はいないだろうか?

しかしだ。

皆もご存知のとおり、人生とは、今という時の「失敗」と「成功」を繰り返していくもの。

あくまで ”その時点での” 「失敗」や「成功」でなのである。

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人は終わりの見えない人生を送っていく。

その続いていた人生がいつか終る直前に、

「あぁ、頑張ってこれたなあ」

「何となく充実していた人生だったなあ」

と、こう思えたらどうだろう。これはすなわち『成功』と言えるのではないだろうか?

世の中のどんな生き物に共通すること。

それは「時間は有限であり、人間関係も、命も有限」ということだ。

つまり、常にチャレンジし続ければ、その足跡を残し続ければ、いつ終わりを迎えたとしても、それは充実していたこと『成功』になり得るのだ。

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目の前の一時的な失敗にこだわりすぎてはいけない。

そして「もうダメだ」とあきらめてはいけない。

日常生活で何らかの制限があっても、何歳になっても、

「考える頭」と「動ける体」があれば、何とでもなる。

大事なのは、常に前を向いて挑戦し続けること。

その足跡が身になり、糧になり、充実した人生を形成していく。

『終わりよければすべて良し』

あくまでポジティブに。

やり残したことはないか?

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「人生において後悔はつきもの」

こう言い切りたくはないのだが、やはり後悔していることは多いのではないだろうか?

「あの時、社内の会議で自分の意思や意見をはっきり発言すれば良かった」

「あの時、あのタイミングで ”好きです” と伝えておけば良かった」

「喧嘩をした後、すぐに素直にあやまっておけば良かった」

「目先の収入ではなく、やりたい仕事をやれば良かった」

「あの時、あの人の助言を素直にきいておけば良かった」

「ずっと行きたかった場所に行っておけば良かった」

「ずっと会いたいと思っていた人に会いに行っていれば良かった」

「あの時、”これ欲しいなあ” と思ったものを購入しておけば良かった」

「あの時、発覚していた身体の異常を放置せず、すぐに治療すれば良かった」

「もっと勉強して、自分の人生の選択肢を増やしておけば良かった」

人は、年齢を重ねれば重ねる程、逃した機会が蓄積され、それはやがて大きな「後悔」となる。

私もその1人であることは否定できない。

そこで、この言葉。

【”死”は一人称では語れない】

これはどういうことか? 

それは、自分は死んだわけだから、”私は死にました” とは当然言えないし思えないということである。

つまり、死を認識できるのは、死んだ人ではなく、それ以外の人間というわけだ。

皆、毎日当たり前のように夜寝て朝に起きる。そして無意識に目覚めることを前提として、翌日以降のスケジュールを立てる。

しかし「必ず目覚める」という保証がどこにあるのだろうか? そう、どこにもない。

ある日突然、永久に目覚めない状態がやってくる。それは、「死んでいる」か、限りなくそれに近い状態である。

人生はやりたいことをやり、楽しみ、成果や実績などを地道に積み上げて充実させていくもの。

しかし、それもある日突然、自分の意思に反して、志し半ばに「”終わり”との認識を自覚することもなく」終焉を迎える可能性があるのだ。

そう考えると、今現在、

我慢して嫌な仕事をしている人

劣悪な環境に身を置いている人

嫌な人間関係の中で鬱屈した毎日を送っている人

これらの話を聞くと、どうだろう、”確かにそんなことをしている場合ではない” と思いはしないだろうか?

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「好機」を逃してはいないか?

「無理だ。今はできない」と自分に言い聞かせてはいないか?

他にも方法があるはずなのに、それを考えることを放棄したり、考えることができないほど疲弊してはいないだろうか?

人生は後戻りはできない。そして、「若さ」もやがて「老い」に変わっていく。

「今やりたいこと」

「今やった方が良いと思っているのにやれていないこと」

たとえ失敗しようが、自分が抱く「納得」が、それを打ち消していく。

何もしない「後悔」よりも、何かをやってみた「納得」が大事。

これから行動すること、それはあなた次第。

あくまでポジティブに。

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自分は社会に貢献しているのか?

世の中には、家族、職場、ボランティア団体、習い事のサークル、地域の伝統行事の集まり、といった様々なコミュニティが存在する。

しかし、そのどこにも属さず、自分は社会の一員と思えない、なぜか寂しい思いや孤独を感じたり、世に貢献できない無力な自分に苛まれているという人がいるのではないだろうか。

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私は最近「社会彫刻(Social Sculpture)という言葉を耳にした。

これはドイツの芸術家ヨーゼフ・ボイスが提唱した理論で、

「誰もが自らの創造力によって芸術家となりうる」という意味である。

文字の中で「芸術家」という言葉が使われているが、これは決して絵画や建築といったアーティスティックな内容のものだけはなく、教育、政治、科学、哲学、経済学といった社会には必要不可欠な内容も含まれる。

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では今の自分で考えてみてほしい。

 ◆まだ学生でアルバイトもしたことないし…

 ◆ただのサラーリーマンだし…

 ◆ただの主婦、主夫だし…

 ◆学校へも行かず、仕事へもせず、ただの引きこもりだし…

 ◆すでにリタイアして、余生をすごしているだけだし…

 ◆何の目的もなく、ただ漫然と生活している何の取り柄もない人間だし…

 ◆持病を抱えていて、周りに迷惑をかけているだけだし…

「そんな自分のやっていることなんて、社会に不可欠とは到底思えない」

「ただ淡々と日々を暮らしているだけ」

そんな風に思ってはいないだろうか?

実は私はこのように思っていた。

「社会彫刻」という言葉を知るまでは。

ボイスはこう述べている。

「ジャガイモの皮を剥く行為でさえ、意識的に行われたのであれば、芸術的な行為になる」と。

つまり「社会を彫刻する」とは、「人生のあらゆる局面には創造的なアプローチができ、それによって誰もが社会全体の幸福に寄与できる」

そういった考え方なのだ。                  

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社会的地位がなくとも、

高所得でなくとも、

特殊な技術がなくとも、

誰もが振り返るような容姿がなくとも、

裕福な家庭でなくとも、

健康でなくとも、

それぞれどんな立ち場、環境においても、

自ら「そうしよう」と意識的に働きかけることで、その行為がたとえ豆粒のようなものでも、

社会構造の中の一部に含まれ、それがあることで、他の部分が構築されていく。

そして、それらが社会になくてはならない重要なものに変化していくのである。

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人は罪を犯せば逮捕され、罰を受ける。

この社会に存在しているから、社会のルールの対象となるのは当然である。

しかし、これは裏を返せば、自分は「社会の一員」だということに他ならない。

小さな悪行も罰せられたり、たとえ罪に問われなくとも、周りからは批判を浴びる。

であれば、その逆を自らやっていけば、この社会に属する一人として、社会に影響を与える、幸福に寄与できることは、これまた当然といえる。

どんな些細な行動にも、意識的にプライドを持ってみよう。

つまりそれが結果的に社会に貢献するということになり、胸を張って上を向いて生きていける。

あくまでポジティブに。

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苦しい現状を変えていくには

今回は少々長い内容になったのだが、

個人的には自分が生きていく上でとても重要視している用語(フレームワーク)なので、最後まで読んでいただけると幸いである。

みなさんは「リフレーミング」という言葉を聞いたことはあるだろうか?

これは「物事の捉え方を変え、別の枠組みで捉え直す」という意味であり、

代表的な例に、【半分だけ水の入ったコップ】がある。

「もう半分しか水がない」

というネガティブな思考を、

「いや、まだ半分水がある」

ポジティブな思考へ変換できるといった、”あれ”である。

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このリフレーミングには、「状況リフレーミング」と「内容リフレーミング」と2つの種類が存在する。

◆【状況リフレーミング】                              ここで言う「状況」とは、自分を取り巻く人物や物事、出来事を指す。

・スポーツ選手が現在のチームで目立った活躍がなくモチベーションが下がっている際に、他チームへ移籍することで息を吹き返すといった例を聞いたことはないだろうか?

・また、今の職場でパッとしなかった人が、転職して新たな分野(職場)に身を置くことで多大なる功績をおさめることになったという例もある。

苦手な上司や同僚(チームメイト)がいる、自分の能力を認められない、スルーされる、逆につぶされる、評価されない、出場の出番がない、全く話が合わない、そもそも仕事の内容が自分に合わない、働く場所が遠い、ハード面や福利厚生が壊滅的などの状況が、チームや職場を変えることで、一変して自分にあった場所にたどり着き、能力を発揮できる可能性があるのだ。

◆【内容リフレーミング】                              そしてこの「内容」とは自身の性格や悩み経験などを指す。ネガティブな性格はポジティブに置き換えることが可能である。

・「決断力が乏しい」                                 →あらゆるリスクを想定し、慎重に物事を進められる。

・「人見知りする」                                  →相手との距離感を考え、ゆっくりじっくり接することができる。

・「飽き性」                                     →好奇心が旺盛で、次々に新たなチャレンジができる。

・恋愛や夫婦感において、「自分は愛されていないと思う」                 →自分は相手をどれほど愛しているのか?                       独りよがりになってはいないか?                           そもそも今の二人において、幸せのカタチとは何なのか?                  実はもうすでに幸せな部分はいくつもあるのではないだろうか?

・仕事で大きなミスをした。もうやっていく自信がない。                  →自分ではミスと捉えているが、他から見ても果たして同じ評価なのだろうか?        これはミスではなく、もっと大きな成功に向かっての過程であり、必要なことではなかったのだろうか?

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では、これらのことをリフレーミング(枠組みを変換)するにはどのような方法があるのか?

① IF(もし◯◯だったら?)のリフレーミング                    →悩みや考えに行き詰まった時に、「もし◯◯を」と相手の立場や、ある時期を想定することで思考の範囲を広げ、多面的に捉えていく。

②言葉のリフレーミング                               →先程述べたネガティブな性格などをポジティブに変換することをやってみる。      「神経質」⇨「細かいことによく気がつく」などの枠の変換。

③時間軸のリフレーミング                              →何か問題が起きた際に、「今ここいる自分」を別の時間軸に置き換えて自分を見つめなおす。そうすることで、何か次につながるヒントを得ることができる。            例えば、

「今この作業は、将来の自分が見ればどう思うか? やって良かったと思えるか?」

「過去の失敗に対し、その時の自分はどのように捉えていて、今の自分なら、未来の自分なら果たしてどう感じて、どうしていくだろうか?」

④解体のリフレーミング                               →自身の欠点や短所について悩んでいる場合、その悩んでいる内容を、

「なぜ思う?」「どんな時に思う?」

「どこで思う?」「何で思う?」

「どのように思う?」

と一旦その悩みを解体し、具体的に課題として自覚する。そうすると改善策を見出しやすくなったり、そもそも

「そこまで悩むことでもなかったな」

「何か単なる勘違いだったわ」

となる場合もあるだろう。

⑤Want(◯◯をしたい)のリフレーミング                      →何かミスをした時に、それを悔やんだり思い悩むのではなく、

「じゃあ自分はどうしたいのだろう」

「次はどうすれば同じミスをしないようにできるのだろう」

と、気持ちを整理し、すかさず未来へと思考を向けるのである。

そのひとつエピソードとして、「坂本龍馬」は、生涯ミスをしても思い悩まなかったそうだ。なぜなら、失敗した瞬間に「次はどうすれば良いか?」とすぐさま思考を変換させる癖があった為である。

今の自分に納得がいっていない

何をするにも自信がない

何をやってもうまくいかない

ネガティブなことばかりが頭に浮かんでくる

今の環境から脱却し、新たな環境でチャレンジしたい

自分を奮い立たし、モチベーションを上げていきたい 

これらのように思っているあなた。

リフレーミングを行うことで、今の生活や人生を変えていくことが可能なのだ。

もちろん、環境を変えればそれなりのリスクも考えられる。

しかし、何もしなければ今のままだ。

そう何も変わってはいかない。

「わずかな勇気」があれば、行動はそこからだ。

今回このブログを読んで、もしあなたにそのわずかな勇気が生まれたのなら、

まずは小さい小さい何かから始めることはできるはず。

今しかない。今がその時。

ひとたびスタートできれば、徐々に軌道に乗っていく。

「思考の変換」から「小さなアクション」へ。

あくまでポジティブに。

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不安な時は誰かに話しを聴いてもらおう

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ほとんどの人は生きていく上で、不安やイライラや困りごとを抱えている。

お金の問題、人間関係の問題、自分の性格への問題など内容は様々。

そうした時に、自分だけでその不安やイライラを解消できればそれで良いのだが、なかなかそう簡単にはいかないのが現実である。

やはり自分だけでは、知識、経験、感じ方、どれをとっても限界があり、狭い視野になってしまいがち。

そうした時に、「誰かに話してみる、誰かに自分のネガティブな気持ちを聴いてもらう」これが大事なのだ。

誰かに話すことで、自分の考えが整理されたり、見えなかったことが見えてきたり、なぜかスッキリしたり……。 その効果はとても大きい。

中には「とにかく何らかの解決策を求める人」もいるだろうが、

まず自分自身で考え、「こうすることに決めた!」があり、

その後行動することで、良くも悪くも結果を出し、自分の糧にしていく。

その積み重ねが、その人の「自信」になり、「人生」になっていく。

人に言われて出した結果でうまくいかなければ「人のせい」にしたくなるかもしれない。

うまくいったとしても「自分の力で成功したのではない」と心から喜べないかもしれない。

だから私は「自分自身で」見出した答えを重要視したいと思っている。

この考えに至るまでには少し時間がかかったのだが、何かその手助けになればと思い、この度心理カウンセリングを開設した。

とにかく共感的に肯定的に話しをして心がスッキリすれば、自然にポジティブシンキングになったり、脳に余白が生まれ、アイデアも湧いてくる。

また、そんなことで不安やモヤモヤが晴れないということであれば、話しをしていく過程で一緒にどうしていくかを見出していけばよい。

詳細はリンクを貼り付けるので、ここをクリックしてHPで確認していただければと思う。

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※このブログでは「〇〇だ、〇〇である」と断定口調であるが、これはあくまでこのブログの中だけであり、カウンセリングでは普通に丁寧語(敬語)を使用するので安心していただきたい。

なんだかんだ言ったって…

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はたしてあなたは今やりたいことをやれているだろうか?

・やりたいことがやれている人
・やりたいことがあるのにできていない人
・やりたいことが何か分からない人
・そもそも何かやりたいとすら思わない人

どうだろう?

あなたはどれに当てはまるかだろうか?

みな、いろんな環境や状況下で生活しているわけだが、きっとその環境に左右されている人は多いだろう。

◆裕福な家庭、貧困家庭

◆理解のある親、優しい親、過干渉な親、無関心な親

◆気の合う友達がいる学校、いつもひとりぼっちな寂しくでつまらない学校

◆理解のある先生、全く親しみがわかない、相性が合わない先生

◆漫然と受けている授業、いつも楽しみな授業

◆やり甲斐があり仲の良い同僚がいる職場、
 面白みもやり甲斐もないのに生活の為に漫然と働き続ける職場

◆求心力があり理解のある上司、全く賛同できないマインドの上司

◆上司のやり方に納得し働き続ける自分、
 上司のやり方に泣く泣く迎合する自分、
 上司のやり方に反発しつつ何とかやり続ける自分

◆同じ方向を向いている同僚、愚痴を言い合える同僚、
 全く相性の合わない同僚、イライラや文句をぶつけてくる同僚

◆仕事や家庭の両方を分担して生活できている夫婦、
 役割や負担が明らかにどちらかに偏っている夫婦

◆シングルでも、明るく逞しく子育てしている父や母や祖母や祖父、
 シングルで毎日何とか働き、家事もこなし、ギリギリの生活で疲弊している父や母や祖母や祖父

◆家族も親戚も皆健康で何の心配も必要ない人たち、
 病気や介護が必要で、誰にも相談できず、助けもなく、ひとりで世話をし、疲弊している人たち

◆とても健康な自分、持病がある自分、不治の病と闘っている自分

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「やりたいことに向かって後押ししてくれる環境や状況」

「いつも壁となり、自分の選んだ道を阻害してくる環境や状況」

どちらも目の前の現実に変わりない。

「お金もない」
「仕事もない」
「健康でもない」
「家族もいない」
「友人もいない」
「話せる人もいない」

だから、やりたいことができない
だから、やりたいことが見つからない
だから、やる気がしない

このような思いの人たち

ではどうする?
このままあきらめてしまうのか?

ただ日常を漫然と過ごしていくのか?

やりたいことがあるのにできていない人
やりたいことが分かっているのなら、あとは行動するのみ。
劣悪な環境下であっても、日常生活を少しでも工夫して、まずは少しでも取り掛かれないか?
少しでも取り組めたなら、それは成功への始まり。

やりたいことが見つからない人
やりたいことが見つからないなら、見つかるまで探してみよう。

やる気が起きない人
人生を文化的に生きなければ、それはつまり動物と同じ。
人間に生まれたからには、考えて、楽しんで、充実した人生を歩んでいこう。

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行動しよう
行動すれば何かが起きる
道が無くなれば、また道を作れば良い

人を頼っても良い
世の中に道は無くなることはない

行動すれば何かが見えてくる。
今まで見えていなかった道が見えるようになる。


そして行動した内容は、どんどん発信していこう。


誰かに話して聴いてもらおう。

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何だかんだ言ったって
やりたいことはやるべきで…

あくまでポジティブに。

「サンクコスト効果(コンコルドの誤謬)」

いきなりだが、皆さんはこのようなケースの場合、その後どのような動き方をするだろうか?

毎日忙しい中、何とか時間を作り、今話題になっている映画を観に来た。

お財布事情も厳しいのだけれども、2000円でチケットを購入し、映画館に足を踏み入れた。

全くその映画の予備知識はないのだが、世間で評判になっていることと、タイトルの感じで自分が好きなタイプの映画ではないだろうかと、ワクワク感で胸が躍る。

さあ映画が開始。

10分経過。

「ん? 何か思っていたのとは違う?」

「いやいや。評判の映画だ。これから面白くなるはず」

30分経過。

「やっぱり思っていたのと違うし、あんまり面白いとは思えないな。でも・・・」

さてどうだろう? 皆さんならその後どんな動きをするだろうか?

ちなみに私なら、

「まだこれから違う展開になり、面白くなるかもしれない。せっかく忙しい中、時間を作ったし、ギリギリのお小遣いをはたいたんだから最後まで観る!」

となるだろう。

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この心理状態を【サンクコスト効果】という。

「サンクコスト」とは日本語で「埋没費用」や「過去コスト」と呼ばれ、「将来的に回収できる見込みのないコスト」の意味である。

同じ意味で【コンコルドの誤謬(ごびゅう)】とも呼ばれる。

これは実際に「超音速旅客機コンコルド」の投資に起きたところからきている。

コンコルドはマッハ2を超す画期的な開発であったわけだが、乗客定員数の少なさや燃費の悪さの問題から採算がとれないことが開発途中で判明。 しかしそれまでに巨額の費用を費やしたことを惜しみ、開発が中止できなかった。

結果、その時勢の影響もあり、膨大な損失を出して倒産する結果となった。

つまりすでに使った費用やコストに対し、

「もったいない」 という心理が働き、

【合理的な判断ができなくなる状態】

のことで1種の認知バイアスと言える。

もし映画を途中で切り上げていたとしたら?

その余った約1~2時間で何かができたはず。

・途中で切り上げた仕事の続きができたかもしれない。

・家族や友人と何か将来につながる大切で充実した時間を過ごせたかもしれない。

我々の日常生活の中では、いくつもの認知バイアスが発生している。

今回もこのようなバイアスが発生しているということを知識として持っていてほしい。

特に「サンクコスト効果」はいろんなパターンで身近に発生している。

目の前のことだけを見て、それをできるだけ最小限の「損失」にとどめることができなければ、その先「もっと大きな損失」になりかねない。

賢明な判断をすることで、「一時的な損失」がプラスに転じる可能性も充分にある。

時間はお金に変えられない

過ぎた時間は戻ってこない。

目の前の事象に直面した時に、

「果たしてこの時間は自分にとってどれほどの価値があることなのか?」

と自問自答し、冷静に考える思考をもってほしい。

また経験を重ねることで、合理的な判断ができるよう精度を高めてほしい。

あくまでポジティブに。

「ハインリッヒの法則」と「パートナーとの関係性」

皆さんはこの言葉をご存知だろうか?

これは、ハーバード・ウィリアム・ハインリッヒが提唱した、労働災害における怪我の程度を分類したその比率である。

具体的には、【1件の重大事故の裏には、29件の軽微な事故と、300件のケガに至らないヒヤリ・ハットがある】 という内容。

別名【1:29:300の法則】とも呼ばれる。

もっと言えば、この300件のヒヤリ・ハットの前段階にはいわゆる「不安全行動」「不安全状態」が無数に存在していると言うのだ。

私の解釈としてはこうなる。

つまり、

「重大事故というものは ある日突然発生したように見えて、実はそれ以前にいくつもの段階の中で何重もの細かい原因や前提があって、それが積み重なって発生したもの」という解釈だ。

さて、ここでふと思ったことがある。

これは、人間関係にも当てはまるのではないかと。

例えば、恋人同士、夫婦関係において、

ある日突然、

「別れましょう」

と言われた経験はないだろうか?

これは特に女性から男性へのメッセージが多いのではないかと思うのだが、 言われた方としては、

「え? ちょっと待って! 何で急に? 」

とパニックに。

しかし、別れを切り出した方は、実はもっともっと以前から何らかのサインを出している。

自分の前では学校や仕事の愚痴ばかり

楽しい場面でも楽しそうにしない

全然話を聞いてくれない

相談事やお願い事もスルー

パートナーのことを否定する

他の人のことばかりをほめる

生活習慣や考え方のズレ

このような些細なことを気にしている方と気にも留めていない方の差は日々広がっていき、我慢できなくなった方が「別れ」を切り出すのだ。

そして、言われた方は未練があるが、言った方はもう最後の段階まで来ているので、今更考えは覆らない。

冒頭に述べた【ハイン・リッヒの法則】だが、 重大な事故を防ぐ方法としては、いかに「ヒヤリ・ハット」や「無数の不安全行動、不安全状態」を見逃さないか、が挙げられる。

集団の場合は、これをいかに共有して、早い段階で防止していくかだ。

このことを知っていれば、こと恋人関係や夫婦関係においても、 はたまた職場の上司部下や同僚においても、適用できるはず。

今の生活を振り返ってみて、

「この関係性にズレや溝が生じ始めてはいないか?」

を日々意識することが大事なのではないかと思う。

いつか、お互いが望んでいなかった悲惨な結末を迎えない為にも、これらのことを意識してほしい。

日常の些細なサインを見逃してはならない。

あくまでポジティブに。