同調圧力からの回避

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学校での会議、職場での会議、家族や親戚での会議、町のコミュニティでの会議、スポーツチームや文化的団体での会議。

我々は、日常的にあらゆる会議に参加している。

フランクに話せる気軽な会議だと良いのだが、大抵はそうではないはず。

その中で確定した内容について、

「本当にこんなので良いのか?」

と首を傾げた経験はなかっただろうか?

それを後から誰かに言うと、「そう思っていたのなら、なぜ会議中に自分の意見を言わなかった?」とか、

もし意見が言えていたとしても、「なぜもっと説得力のある材料を準備しておかなかった?」とか反論されそうだ。

いやいや

力のある人間が、鶴の一声で決めてしまったりそのチーム、組織、団体の結束力が以上に高かったり、閉鎖的であるがゆえに、反対意見に対して聞く耳を持ってもらえなかったり。

そんな場で

「この方法で本当に良いのでしょうか?」

「こんなリスクは考えられませんか?」

などと言えるはずもない。

特に気が小さい人や、普段からあまり声を挙げないタイプの人間なら尚更だ。

このように個人だと明らかに間違ったことであると判断できるのに、集団だとそれが通ってしまうことを【集団的浅慮(せんりょ)】と言う。

仮に、その場の会議では「これは正しい結論」だったが、それを実践していけばいくほど右肩下がりになっていくとする。

ではすぐに軌道修正をするか、一旦取りやめることをすれば良いのだが、

「一度決めたことだから」

「これはあの人(力のある人)の意見だから」

と、たとえその方法がリスキーであることが判明した状態でも「継続」の姿勢をとってしまう。

これを【心理的拘泥(こうでい)現象】と言う。

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ではそれを防ぐ方法はないのか?

実はこの現象を回避する手段が存在するのである。

それは、集団の中で【悪魔の擁護者】を設定すること。

【悪魔の擁護者】とは、「あえて反対意見を言う」ポジションをあらかじめ設けることで、反対意見を言いやすくし、あらゆるリスクなどを想定して、より建設的な結論に導かせる手法である。

但し、このポジションを設けるには、当然、中心人物や全員の理解や承諾を得ることが前提となる。

そのリーダー的存在が、あるいは各々が、どれだけチームや組織全体を良くしようという思いがあるのか?

皆で議論検討することの本来の意味は「いろんな角度から、いろんな意見から、よりベターな方向性を導き出す」ということだと思うのだが。

「リーダーがそう言うから」

「皆がそう言うから」

大なり小なり、組織やチームでは日常茶飯事的に【同調圧力】が発生している。

本当に全体を良くしようという思いがあるのなら

同調圧力ではなく

鶴の一声でもなく

いかに「フラットな意見を言える状態や環境を作り出せるか?」が鍵となる。

あくまでポジティブに。