「希望」とは

日常茶飯事に使っているこのワード。

そもそも「希望」というこの言葉の意味とは?

辞書にはこう書かれている。

・こうなってほしいと望み願うこと。

  またその願い。

・将来に対する明るい見通し。

 

では「希望」という言葉を言い換えるとすればどんな内容がしっくりくるだろうか?

例えば私が考えるのは、

・誰もが自由平等に持つことができる願い。

・誰もが持っているが、時に見落としたり、気づきにくかったり前向きさ。

・毎日の生活の原動力になるもの。

などである。

 

どんな時に「希望」は生まれやすいのか?

・満足していない日常

・困窮した生活

・疲弊した身体及び心理状態

 

果たして、このような状況や状態であったとして、黙っていて生まれるものなのか?

いや生まれない。

 

自宅に閉じこもっていて自然に生まれるか?

いや生まれない。

 

ずっとひとりで考えていて生まれるか?

いや生まれない。

 

あるドラマでこのようなセリフがあった。

「希望とは信じられる人がいること」

確かにそうなのかもしれない。

漠然と「希望」という言葉を使っていた私であったが、その本質に気づいたのはこのセリフを聞いたその時であった。

 

でもまずは自分のことを信じられなければならない。それは「自信」。

そしてその「自信」を生み出したなら、今度は「希望」。

ひとりでできることなんてたかがしれている。

人生とは、人と人との相互関係によって成り立つ。

ひとりで世界は広がらない。

人生は豊かにならない。

 

この世の中(家族、会社の同僚や上司、友人、趣味の仲間)にひとりでも信じられる人がいれば、それが「希望」になり、 いなければそれはたちまち「絶望」となる。

自分と同じ考えでも、例えそうでなくとも、

相手を尊重する

リスペクトする

同時に自分という人間も受け入れてもらう

そのような関係性の中で「希望」は生まれ、また日々前向きに形を変えていくのではないだろうか。

 

あなたの身の回りに、信じられる人は存在するか?

「いや、そんな人はいない」と思うあなた。

では、これから信じてみようと思える人はいないか?

 

すべてはあなたの行動と考え方次第。

一度立ち止まって考えてみてほしい。

あくまでポジティブに。

「行動する」ということ

世の中には、同じ「行動する」にも、

①自分から考えて行動を起こす人

②何か言われたり発生した物事に対して行動を起こす人

に分かれる。

ちなみに私は、②の「何か言われたり発生した物事に対して行動を起こす人」の方があてはまっているようだ。

①の”自分から考えて行動を起こす人”は「プロアクティブ」と呼ばれる。

一方、

②の”何か発生した物事に対して行動を起こす人”は「リアクティブ」と呼ばれる。

例えば、仕事や趣味などの仲間同士で「親睦を深めた方が円滑な関係性になる。その場にいることが楽しくなるようにしたい」といった状況があるとする。  

 

プロアクティブな人は、

・「親睦会をしたいなあ」と思う。

・企画を立てる。

・日程を調整し、お店を予約する。

・チラシなどを作成する。

・希望者を募る。

・当日の準備をする。

・幹事役として、皆に配慮する。

 

リアクティブな人は、

・「親睦会をしたいなあ」と思う。

・でも色々考えると、忙しいのに企画を立て、日程調整をしたり予約を取ったり チラシを作成したり「面倒だ」と思う。

・「誰かやってくれないかなあ」と思っていたら、企画している同僚や友達がいる ことを知る。

・「よし、それに乗っかろう」と思い、ようやく重い腰を上げる。

 

さて、あなたはどちらのタイプだろうか?

 

ではここでひとつ聞いてみたい。

手間がかかり、失敗が多いのは果たしてどちらのタイプか?

 

そう 「プロアクティブ」の方である。

 

では・・・・・・

人生がより充実しているのはどちら方なのであろう?

 

さて、どちらなのだろうか?

 

そうである。 これも「プロアクティブ」の方なのである。

 

例えば、

・学校生活がつまらない。

・職場と家の往復で友人や恋人ができない。出会うきっかけがない。

といった人は多いと思う。

その状況で何も行動を起こさなければどうなるか?

 

そうだ そのままだ。

 

何も変わらない。

 

では、

どこかお店の常連になったり、

新たな趣味の場へ通うようにしたり、

自ら友達に声をかけご飯に誘うような、

そんな行動を起こしてみたらどうだろう?

 

確かに お店ではすぐに顔を覚えてもらえないかもしれない。

好きな趣味で教室に通ったのだが、先生や他の人たちと相性が悪く、行くのが嫌になるかもしれない。

自分から何人かにご飯に誘うも、皆に断られ 人が集まらないかもしれない。

もっとこうやった方が会社全体の利益になる と分かっているのに、しがらみや既存のやり方にとらわれ、何もアクションを起こす人が いない。

たとえアイデアを提案しても、すぐに却下されるかもしれない。

誰も賛同してくれないかもしれない。

誰も協力してくれないかもしれない。

このようなことは普通にあるかもしれない。

 

しかしだ 。すっとこのようなことが続くとも考えられない。

店や趣味の場はいくらでも存在するので、変えることもできる。

友人も、たまたま都合が悪かっただけかもしれない。

会社への提案も、試行錯誤して練り直し、何度も提案していくと、いずれ賛同してくれる人が現れ、上司も納得するかもしれない。

こういう経験を積んでいくと、対応力も変わり、選択肢が増え、柔軟に考えられるようになる。

こういう過程を経て、いつしか心地よい楽しい状況になった時、その充実感は何倍にも膨れ上がるのではないだろうか。

ちなみにだが、最近この「プロアクティブ」を描いていると思えるドラマがある。

それは日テレで現在放映中の「ファーストペンギン」だ。

女優の奈緒さんがシングルマザーの立場で、なかなか利益が上がらない、人が安定しない漁港を、いろんなアイデアで立て直すストーリーなのだが、

これが何というか朝ドラの発展版のような感じで、爽快で前向きで、何とも視聴後の心地良さがある(どうやら実在のモデルがいるようだ)。

「ファーストペンギン」とはペンギンの群の中から最初に海に飛び込むペンギンなのだが、敵がいる可能性があるリスクを背負いながらも、自らの考えに沿って、果敢に行動を起こす姿がまさに「プロアクティブ」であると私は感じている。 

現在の私は「リアクティブ」 。

急には自分を変えることはできない。

しかし、少しずつでも「プロアクティブ」近づけることはできるはず。

人生を充実したものにしたい 。

皆もそうであってほしい。

ポジティブシンキングで 。

ドラマ「純愛ディソナンス」

現在、フジテレビの連ドラとして放送中のこのドラマ。既に内容は佳境に入っている。

世間的には賛否がある内容設定になっているのだが、そこの倫理観は個人によって様々である為、言及は控えたい。

このドラマは2部構成になっている。

第1部  新田正樹(中島裕翔さん)の先輩である高校教師(音楽担当)小坂由希乃(筧美和子さん)の後任として赴任してくる。

その小坂由希乃が謎の失踪となった。

正樹が担任するクラスの生徒である和泉冴(吉川愛さん)が小坂由希乃を慕っていたこともあり、

それをきっかけとして、教師(正樹)と生徒(冴)という2人の間に、惹かれあう何かが生まれる。

しかし、ある事情により、正樹は学校を辞めてしまう。

2人の本心はベールに包まれたまま別れてしまったのだが・・・

第2部  2人は5年後のある時に偶然に再会することになる。

正樹は結婚しており、冴も正樹もはっきりしない気持ちのままこの第2部は始まるのだが……

2人を取り巻く奇妙な人間関係に翻弄されつつ、物語は少しずつディソナンス(不協和音)を奏でながら進行していく。

このドラマの主演である中島裕翔さん。「 Hey! Say! JUMP」のメンバーの傍ら、モデルや俳優とマルチな活躍で、「半沢直樹」「水球ヤンキース」「HOPE」などにも出演している。

身長は180センチ近くあり、端正な顔立ちに、爽やかで透明感があり、

また、時に幼い表情を見せるが、どことなく儚げであり、陰のある感じも持ち合わせている。

まだかなり若いが演技力のセンスは抜群。今後の成長が楽しみな俳優である。

少し横道それるが、中島裕翔さんの出演映画で面白かったものとして「ピンクとグレー」を挙げたい。

これはジャニーズ「NEWS」のメンバー加藤シゲアキさんの処女作であり、菅田将暉さんも出演している。

まだ若い2人の初々しい演技も新鮮だが、それ以上にストーリーが斬新であった。

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一方、吉川愛さんも、子役の頃からドラマに出演しており、少しずつ実力をつけてきた女優さんである。

彼女の初々しく真っ直ぐな感じが、またこのドラマの深みを増していると言ってよいだろう。

他にも、「コードブルー ドクターヘリ」で誠実な看護師役であった、比嘉愛未さんが出演しているが、第1部と2部のキャラクターの違いに注目してほしい。

特に2部の比嘉さんには確かな演技力を見せつけられた感じがした。

また「ROOKIES」で熱血教師を演じた佐藤隆太さんも出演しているのだが、先に述べた3名との絡みにも様々な形で関係しており、「ディソナンス」に一役買っている。

それ以外にも、光石研さん、富田靖子さんといったベテラン実力派俳優や、ジャニーズHiHi Jetsの高橋優斗さんといったフレッシュな俳優が脇を固め、より不協和音が複雑化している。

このドラマ、視聴率は低迷しているようだが、個人的には、

ディソナンス(不協和音)と化したそれぞれの思いや関係性がどのように変化していくのか?

正樹と冴の関係性は、果たして純愛と言えるのか? https://www.fujitv.co.jp/lovedisso_fuji/

結末が楽しみである。

ドラマ「石子と羽男」 

これは現在TBSで金曜日に放送中のドラマであり、私が毎週楽しみにしている中のひとつである。

東大卒のパラリーガル「石子」こと石田硝子(有村架純さん)と、

高卒の弁護士「羽男」こと羽根岡佳男(中村倫也さん)が、

バディを組み、決して大事件ではなく、日常の些細なトラブルを、法を介して解決していくといったストーリーだ。

実はこの二人、コンプレックスを抱えた者同士であり、一見かみ合わないように思えるのだが、

それが逆に回を重ねるごとに、うまくバランスがとれていくのである。

石子は、4回も司法試験に落ちているのだが、真面目でコツコツ派、信念のある女性パラリーガル。

一方、羽男は、高卒だが司法試験には一発合格。3万人に1人と言われている「フォトグラフィックメモリー」の持ち主であり、その能力で合格したといっても過言ではない。

ちなみに「フォトグラフィックメモリー」とは、簡単に言えば、目の前の風景や文字などを瞬時に記憶する能力である。

これは、発達障害(学習障害)の部類に入るのではないだろうか。

しかし良いことばかりではない。

嫌なことも鮮明に記憶してしまいしんどくなったり、

イレギュラー対応ができずフリーズしてしまう、

例えば対人コミュニケーションスキルが非常に乏しいといったデメリットが大きい。

これは弁護士としては致命的と言えるのだが、その自覚がありつつ弁護士を続けていく葛藤を表す中村倫也さんの演技にも注目である。

意見が衝突する時もあるのだが、徐々に羽男が自分の弱さを吐露し始め、石子を頼りにしていくシーンに、私はしばしば胸を打たれた。

また、石子はそんな羽男のことを馬鹿にすることなく、むしろ膨大な法律の知識量や、弱いながらも何とか弁護士の仕事を全うしようとするところをリスペクトしつつあるようだ。

現実的に些細なトラブルを、法を介して人間の弱さやそれに向かっていく強さを描いているこのドラマ、一見ありがちなテイストになるところを、

RADWIMPSが唄う「人間ごっご」が最後の方に流れることで、どことなく幻想的で、法律を題材としたドラマとは全く違うテイストに仕上がっている。

最初は何気なく観ていたのだが、これを観ると少しポジティブになれる自分がいた。

果たして、2人は恋愛に発展するのだろうか?

ギフテッド

朝の番組で「ギフテッド」という、あまり聞き慣れない言葉を耳にした。

ギフテッドとは、「一般的な人々と比較して先天的に顕著に高い知性や精神性、共感的理解、洞察力、独創性、優れた記憶力を持つ、IQ130以上の知能を持つ人々のこと」をいう。

神から与えられた言わば「天賦の資質」という表現もある。

加えて、世間での「成功を収める収めない」は定義上関係ないらしい。

同調圧力の文化が主流なここ日本では、そんな自分をあえて目立たせないようにする人たちが多い。

そんな中、逆にその才能を伸ばす取り組み「ギフテッド教育」なるものも存在するようだ。

しかし、これらの話を聞いて、何か感じたことはないだろうか?

そう、ASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠陥・多動性障害)などの、いわゆる「発達障害」の人々のことである。「発達障害」の中にも特異な才能を持つ人が多いからだ。

特に発明家、小説家や脚本家などの文筆業、画家や音楽家、書道家等のアーティスティックな分野ではそうだと言える。

最近は芸能人からのカミングアウトも増えている。

しかし、どうやら「ギフテッド」と「発達障害」は、学術的・医学的にも「似て非なる」解釈のようだ。

他に思い浮かんだのは「HSC(ハイリーセンシティブチャイルド)、HSP(ハイリーセンシティブパーソン)」の存在である。

高い知能と共感的理解、深い洞察力などの豊かな精神性をもつところが、この「ギフテッド」と似ているのではないかと思ったのだ。

ギフテッド、発達障害、HSC、HSP・・・これらの特徴について、円を描けばどこかが重なる。

実際、各々がどのカテゴリーに属するのか、より専門的な検査を受けてみないとハッキリは分からないのだろう。

だが、間違いなく言えることは・・・

その特性特徴を「強み」と捉えること

「できないこと」ではなく「できること」にフォーカシングすること。

ただそれだけでいい。

シンプルな思考で。

ポジティブに。

国家試験を終えて

7/17日曜日、試験を終えた。

午前、午後、共に2時間の実施。

とにかく疲れた。

手応えがなかったので「自己採点はするまい」と思っていたが我慢できず解答速報に手を伸ばし、気がつけば採点する自分がいた。

結果、合格点には届かなかった・・・

敗因を挙げるとすれば、時間配分。この試験は択一式は各1点。事例問題は各3点と、後者でかなり左右される。

前半の択一式で時間をとられ、事例問題に余裕をもって取り組めなかった。自分では事例問題は得意としていただけに、本当に残念である。

模試は1度だけ受けていたのだが甘かった。

今回の試験、今までの4回分の過去問に比べると、何となく出題のニュアンスが変わったと思ったのは私だけか?

しかしこれらは全て言い訳になる。

残念ながら、今回は運もプレッシャーも味方につけることはできなかった。

この半年以上、日課のように勉強していたのだが、いざ試験が終わると、現実に違和感があり、燃え尽きたような何ともいえない数日間を過ごした。

今回の試験で受験資格は終了。

本当にワンチャンだったわけだが、これをモノにできなかったのは紛れもない事実であり、私はこの現実を受け入れなければならない。

しかし・・・何だろう、試験直後に感じていた違和感のようなものは、日々薄れていっている。そして、それは「爽快感」や「充実感」のようなものに移り変わろうとしている。

この半年間やれることはやってきた。合格を信じて目標につき進んできた。結果はダメだったが、やりきった感がある。

もしこの資格が欲しいのに自信や費用がないことであきらめてしまったり、当日コロナや体調不良等で受験できなかったことを考えると、絶対に悔いが残ったと思う。

自分を信じて、やれることをやって、当日も無事に受験できたわけで。

確かTVのCMでも言っていたかな?

「やらない後悔は一生の後悔となる」と。

なので、今回かなりの費用や時間を費やしたが、今の私には悔いがない。

その分、今回学んだことは日常や仕事に生かし、むしろまた色んなやりたいことを今後もチャレンジしていこうという気になった。

これを繰り返していくのが人生。

その積み重ねが自身の成長につながると信じている。

ポジティブシンキングで前を向いていく。

私はまだまだこんなことでは終わらない。

国家試験まで残り1週間!

昨年末くらいから日々の隙間時間を利用して、何とかやってきたわけだが、とうとう試験まで残り1週間となった。

もしかしたら既に未来は決まっているのかもしれないが、最後の悪あがきを実行したいと思う。

この国家試験、5年の特例措置があり、今回がその5年目。私が受験できるのは今回のみ。泣いても笑ってもこの試験が最初で最後のワンチャンス。

運もプレッシャーも全て味方につけるには、最後まであきらめないこと。

ポジティブシンキングで最後までやりきってみせる。

当たり前のことを当たり前に

 今からごくごく当たり前のことを書こうと思う。

「継続すること」についてである。

さて、果たしてどれだけの人がこれを実行できているだろうか?

身近にはあまりいないとしても、世の中を見渡せば「継続する」という当たり前のことを当たり前に実行している人はたくさん存在するにちがいない。

同時に「継続することで成功をつかんでいる人」も少なくないのではと思える。そうすると「成功する」為には、「継続することが前提」という理論が成り立つ。

さて、ここで私の失敗談をいくつか。

学生時代、中間期末テストがある時は、いつも一夜漬け。たいした結果がでなかったのがほとんど。

受験の際も、コツコツ勉強した感じはなく、途中経過はいい感じであったにもかかわらず、最後には友人に追い抜かされる結果となった。

大学の卒業論文も同様であり、提出期限前日から朝にかけて仕上げるなど、寸前に一極集中することが常。

その後も、体力づくりの為にジムに通うも3ヶ月で終わり、自宅での体幹トレーニングも当然続かず。

ヨガもピアノも9ヶ月程度は続いたが、それ以上はなかった。

ライターになるべく、教室にも通ったことがあったが、結局それも続いていない。

ある採用試験にも、いいところまでいくのだが、毎日コンスタントに勉強することができず、チャンスを逃してしまったこともある。

ここまで過去の失敗談を綴ってきたわけだが、それではなぜ私がこれほどまでに「継続すること」を力説するのか?

それは、最近になりその言葉の意味がよく分かってきたからだ。

つまり「継続すること」で、結果が出始めたということ。

私は、昨年ある国家資格に1発合格することができた。

今までの自分なら試験のちょっと前に勉強し、案の定、結果がダメで「ほら、やっぱりダメだった」で終わっていたと思う。

「また来年に向けてボチボチ勉強をすればいいや」などと。

しかし、なぜか今回は違った。「このまま失敗続きの人生なんて、何かしゃくに障る。人生において何か形に残したい」そんなことを思いつつ、色んな人の姿や言葉を思い出していた。

・あるライタースクールの先生は「シナリオや小説を完成させるには、毎日1時間机に向かうことができるかできないかだ」

 →これについては、シナリオや小説は、話の内容よりもまず最後まで完成させることが”至難の業”であることを補足しておきたい。

・昔、ある採用試験にともに挑戦した友人がいたのだが、その友人は見事に合格を勝ち取り私は落ちた。私から合格するための助言を求めたところ「仕事でしんどくても、毎日1時間机に向かえるがどうか」とのことであった。

・移動中の電車で、ドア付近に立っていた男性の老人が「英語の単語帳」を見ていた。

今も尚、現役で活躍しているサッカーのキングカズさんも、あの年齢で体力をキープできているのは、毎日のトレーニングを欠かさないからなのだろう。

・もう引退されたが、元メジャーリーガーのイチローさんも、あれだけの功績を残せたのはトレーニングを1日も欠かさずに取り組めたことが大きく影響しているはず。

・他にも、ノーベル賞を受賞した研究者の方々も。日々のトライアンドエラーの繰り返しで成功を見いだしているのは周知の事実である。

「そうだ、やっぱり成功を勝ち取るには、日々の目の前の時間に集中し、努力するしかない」そう思えたわけである。

そして私は、まず専門学校の学費を何とか工面すべく、2年間毎月数万円ずつ貯蓄することにした。

いきなり多額のお金を準備することはできないが、少額でも時間をかければ何とかなる。これも「継続すること」の結果である。

そしてお金が貯まったら、次に専門学校に入学。そこからさらに仕事と並行して約2年間勉強。

試験に向け、徐々に緊張が高ぶってくる中、何とか試験には1発合格し、国家資格取得を勝ち取ったわけである。

それまでに計4年を費やした。

振り返ったのだが、今回の国家試験はあまりに膨大な範囲であり、絶対に数ヶ月間の勉強では合格は勝ち取れなかったと思っている。

毎日の少しの時間の積み重ねがあったからこそだったと。

仕事や家事が忙しい人だって、例えば通勤時間の電車の中、昼休憩ご飯を食べた後に参考書を開く。

歩いている時、料理を作っている時、洗濯物をたたんでいる時、見たり書いたりはできなくても、音声だけの講義を聞くことはできる。

私は、以前「まとまった時間がとれないから勉強できない」と自分に言い訳していることがあった。しかし、小間切れの勉強でも成果はあることに気づいた。

「どうせまだまだ先のことだし、モチベーションはなかなかあがらない」とか、「そんな頑張ったって落ちる時は落ちるんだから意味がない。落ちたらそんな努力は無駄になるだろう」

とか、もちろんそんな声も聞こえてきそうなのだが、成功とは結果を出すとは「積み重ねてきた努力したその先にあるもの」である。

もしかすると、運が良い人は「ただ単に運が良い」ではなくて、「努力した人だからこそ運を引き寄せた」の感覚と似ているのかもしれない。

つまり「それを実行した人だけがその権利を得る」ことだと、そう私は思っている。

もう一度言う。

当たり前のことを当たり前に言う。

どんなことにしたって、やはり一朝一夕には成功などあり得ない。1日1日の努力の積み重ねが成功へとつながるのだ。

一度でも継続して成功をつかむことを経験すると、それがいかに大切であるかを実感することとなる。

努力をして成功することを一度でも味わうまでは確かに大変である。もちろん挫折もあるだろう。

しかし頑張って一度経験してしまえば、途端に思考が変わる。

実は私、今年の夏にある別の国家試験に向けけ、日々邁進している最中。

今回の試験はよりいっそう難易度が高いのだが、やれるべきことはやってみるつもりだ。

今回私が述べてきたことを再度実証すべく、ポジティブシンキングで是非とも成功をつかみたい。

ピーク・エンドの法則

日常生活の出来事の中で残っている記憶や印象は人それぞれ。

例えば、

・テーマパークで遊んだ記憶や印象

・行列ができる店で食べた記憶や印象

・映画を観た時の記憶や印象

・彼氏彼女とのデートの記憶や印象

・著名人の講座を受けた時の記憶や印象

実際は苦痛の割合が多かったはずの出来事が、時が経過するにつれ甘美な記憶、楽しく充実した記憶や印象になってしまう。

このような経験をした人は少なくないだろう。

これはなぜなのか?

2002年にノーベル経済学賞を受賞した、心理学者・行動経済学者の「ダニエル・カーネマン」が提唱した「ピーク・エンドの法則」というものがある。

これは「人の記憶や印象の良し悪しは、その出来事の中で最も”高ぶった時”(ピーク)と”クライマックス”(エンド)だけで決定づけられる」というもの。

ある実験では、

まず1番目のグループに大音量の不快な騒音を聞かせた。

そして2番目のグループにも同様の騒音を少し長めに聞かせた。

最後に少しマシな騒音を流し実験を終えた。

その後、どちらのグループがより不快に感じたかを評価してもらったところ、2番目のグループの方が、1番目のグループよりも不快に感じなかったのだ。

この実験が仮に2時間だったとしよう。しかし、ほんの数分でも気持ちが高揚したり、終わり際の印象が良いものであれば、その出来事全体の印象としては「良くなる」ということを実証している。

冒頭の例で言えば、

★寒くて凍えそうな中、2時間も並び、やっとのことで噂のラーメンを食べることができた。

感動! 初めて味わう美味しさ!

しかし食べる時間としてはほんの10分。

帰り際、店員さんが「また来てくださいね」とにっこり微笑んでくれた。

後日、ラーメン食べるなら「またあの店に行きたいなあ」と思えた。

★睡眠不足の中、会社の命令である講演を聞きに行った。

概ね話の内容が単調でつまらなく、眠りにつきそうだったが、登壇者の最後のある一言にグッと気持ちが引き寄せられた。

後日、この講演を友人にも勧めたり、この登壇者の著書も購入した。

★彼氏との初デート。

車で移動の道中、ほとんど会話がなく、もう帰りたいと思っていた。

デートの内容は「蕎麦打ち体験」。お互い失敗ばかりで、なかなかスムーズにいかないながらも何とか完成した蕎麦だったが、とても美味しかった。 

帰りの車でも、相変わらず会話が少なかったが帰り際、彼氏から「一緒に作るとあんなに楽しいものなんだね」と言われた。

この一言で、また一緒にデートしたいと思えた。

以上のように、この法則は日常の様々な場面で応用が利く。

全体の時間を「全力疾走」は疲れる。

「ピークとエンド」だけに力を注げば、相手に対して良い印象となり、それが記憶として残る。

また「ほとんど手応えがなく、このままだと何の成果も得られない!」と思っても、その出来事には最後の最後まで巻き返しをはかれるチャンスがあるということを忘れてはならない。

まさにポジティブシンキングである。

何かこれって、人生にも同じことが言えるのかも。 

ドラマ「アバランチ」

今回は少し横道をそれる内容であることご了承願いたい。

このドラマについて、ブログで発信せずにはいれなかったので。

毎週欠かさず観ているドラマのひとつに、この「アバランチ」がある。

非常に簡単に言うと、木村佳乃さんをリーダーとし、綾野剛さん等のメンバーが国家に立ち向かっていく内容なのだか、このドラマの緊迫感、臨場感、スピード感は筆舌に尽くしがたい。各々のキャストによるシリアスな演技がまた目を見張る。

数年前に同じようなタッチで「CRISIS」という西島秀俊さんや小栗旬さん等が出演しているドラマもまた秀逸であり、私としては続編を待ち望んでいた。

そんな中、この「アバランチ」というドラマに出会った。最終回まであと数回となったが、このブログを読んで少しでも興味がわいた方は、是非観ていただきたい。

これからの展開はきっと私の予想を上回ってくるのだろう。最終回まで見届けたい。