やり残したことはないか?

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「人生において後悔はつきもの」

こう言い切りたくはないのだが、やはり後悔していることは多いのではないだろうか?

「あの時、社内の会議で自分の意思や意見をはっきり発言すれば良かった」

「あの時、あのタイミングで ”好きです” と伝えておけば良かった」

「喧嘩をした後、すぐに素直にあやまっておけば良かった」

「目先の収入ではなく、やりたい仕事をやれば良かった」

「あの時、あの人の助言を素直にきいておけば良かった」

「ずっと行きたかった場所に行っておけば良かった」

「ずっと会いたいと思っていた人に会いに行っていれば良かった」

「あの時、”これ欲しいなあ” と思ったものを購入しておけば良かった」

「あの時、発覚していた身体の異常を放置せず、すぐに治療すれば良かった」

「もっと勉強して、自分の人生の選択肢を増やしておけば良かった」

人は、年齢を重ねれば重ねる程、逃した機会が蓄積され、それはやがて大きな「後悔」となる。

私もその1人であることは否定できない。

そこで、この言葉。

【”死”は一人称では語れない】

これはどういうことか? 

それは、自分は死んだわけだから、”私は死にました” とは当然言えないし思えないということである。

つまり、死を認識できるのは、死んだ人ではなく、それ以外の人間というわけだ。

皆、毎日当たり前のように夜寝て朝に起きる。そして無意識に目覚めることを前提として、翌日以降のスケジュールを立てる。

しかし「必ず目覚める」という保証がどこにあるのだろうか? そう、どこにもない。

ある日突然、永久に目覚めない状態がやってくる。それは、「死んでいる」か、限りなくそれに近い状態である。

人生はやりたいことをやり、楽しみ、成果や実績などを地道に積み上げて充実させていくもの。

しかし、それもある日突然、自分の意思に反して、志し半ばに「”終わり”との認識を自覚することもなく」終焉を迎える可能性があるのだ。

そう考えると、今現在、

我慢して嫌な仕事をしている人

劣悪な環境に身を置いている人

嫌な人間関係の中で鬱屈した毎日を送っている人

これらの話を聞くと、どうだろう、”確かにそんなことをしている場合ではない” と思いはしないだろうか?

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「好機」を逃してはいないか?

「無理だ。今はできない」と自分に言い聞かせてはいないか?

他にも方法があるはずなのに、それを考えることを放棄したり、考えることができないほど疲弊してはいないだろうか?

人生は後戻りはできない。そして、「若さ」もやがて「老い」に変わっていく。

「今やりたいこと」

「今やった方が良いと思っているのにやれていないこと」

たとえ失敗しようが、自分が抱く「納得」が、それを打ち消していく。

何もしない「後悔」よりも、何かをやってみた「納得」が大事。

これから行動すること、それはあなた次第。

あくまでポジティブに。

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自分は社会に貢献しているのか?

世の中には、家族、職場、ボランティア団体、習い事のサークル、地域の伝統行事の集まり、といった様々なコミュニティが存在する。

しかし、そのどこにも属さず、自分は社会の一員と思えない、なぜか寂しい思いや孤独を感じたり、世に貢献できない無力な自分に苛まれているという人がいるのではないだろうか。

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私は最近「社会彫刻(Social Sculpture)という言葉を耳にした。

これはドイツの芸術家ヨーゼフ・ボイスが提唱した理論で、

「誰もが自らの創造力によって芸術家となりうる」という意味である。

文字の中で「芸術家」という言葉が使われているが、これは決して絵画や建築といったアーティスティックな内容のものだけはなく、教育、政治、科学、哲学、経済学といった社会には必要不可欠な内容も含まれる。

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では今の自分で考えてみてほしい。

 ◆まだ学生でアルバイトもしたことないし…

 ◆ただのサラーリーマンだし…

 ◆ただの主婦、主夫だし…

 ◆学校へも行かず、仕事へもせず、ただの引きこもりだし…

 ◆すでにリタイアして、余生をすごしているだけだし…

 ◆何の目的もなく、ただ漫然と生活している何の取り柄もない人間だし…

 ◆持病を抱えていて、周りに迷惑をかけているだけだし…

「そんな自分のやっていることなんて、社会に不可欠とは到底思えない」

「ただ淡々と日々を暮らしているだけ」

そんな風に思ってはいないだろうか?

実は私はこのように思っていた。

「社会彫刻」という言葉を知るまでは。

ボイスはこう述べている。

「ジャガイモの皮を剥く行為でさえ、意識的に行われたのであれば、芸術的な行為になる」と。

つまり「社会を彫刻する」とは、「人生のあらゆる局面には創造的なアプローチができ、それによって誰もが社会全体の幸福に寄与できる」

そういった考え方なのだ。                  

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社会的地位がなくとも、

高所得でなくとも、

特殊な技術がなくとも、

誰もが振り返るような容姿がなくとも、

裕福な家庭でなくとも、

健康でなくとも、

それぞれどんな立ち場、環境においても、

自ら「そうしよう」と意識的に働きかけることで、その行為がたとえ豆粒のようなものでも、

社会構造の中の一部に含まれ、それがあることで、他の部分が構築されていく。

そして、それらが社会になくてはならない重要なものに変化していくのである。

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人は罪を犯せば逮捕され、罰を受ける。

この社会に存在しているから、社会のルールの対象となるのは当然である。

しかし、これは裏を返せば、自分は「社会の一員」だということに他ならない。

小さな悪行も罰せられたり、たとえ罪に問われなくとも、周りからは批判を浴びる。

であれば、その逆を自らやっていけば、この社会に属する一人として、社会に影響を与える、幸福に寄与できることは、これまた当然といえる。

どんな些細な行動にも、意識的にプライドを持ってみよう。

つまりそれが結果的に社会に貢献するということになり、胸を張って上を向いて生きていける。

あくまでポジティブに。

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苦しい現状を変えていくには

今回は少々長い内容になったのだが、

個人的には自分が生きていく上でとても重要視している用語(フレームワーク)なので、最後まで読んでいただけると幸いである。

みなさんは「リフレーミング」という言葉を聞いたことはあるだろうか?

これは「物事の捉え方を変え、別の枠組みで捉え直す」という意味であり、

代表的な例に、【半分だけ水の入ったコップ】がある。

「もう半分しか水がない」

というネガティブな思考を、

「いや、まだ半分水がある」

ポジティブな思考へ変換できるといった、”あれ”である。

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このリフレーミングには、「状況リフレーミング」と「内容リフレーミング」と2つの種類が存在する。

◆【状況リフレーミング】                              ここで言う「状況」とは、自分を取り巻く人物や物事、出来事を指す。

・スポーツ選手が現在のチームで目立った活躍がなくモチベーションが下がっている際に、他チームへ移籍することで息を吹き返すといった例を聞いたことはないだろうか?

・また、今の職場でパッとしなかった人が、転職して新たな分野(職場)に身を置くことで多大なる功績をおさめることになったという例もある。

苦手な上司や同僚(チームメイト)がいる、自分の能力を認められない、スルーされる、逆につぶされる、評価されない、出場の出番がない、全く話が合わない、そもそも仕事の内容が自分に合わない、働く場所が遠い、ハード面や福利厚生が壊滅的などの状況が、チームや職場を変えることで、一変して自分にあった場所にたどり着き、能力を発揮できる可能性があるのだ。

◆【内容リフレーミング】                              そしてこの「内容」とは自身の性格や悩み経験などを指す。ネガティブな性格はポジティブに置き換えることが可能である。

・「決断力が乏しい」                                 →あらゆるリスクを想定し、慎重に物事を進められる。

・「人見知りする」                                  →相手との距離感を考え、ゆっくりじっくり接することができる。

・「飽き性」                                     →好奇心が旺盛で、次々に新たなチャレンジができる。

・恋愛や夫婦感において、「自分は愛されていないと思う」                 →自分は相手をどれほど愛しているのか?                       独りよがりになってはいないか?                           そもそも今の二人において、幸せのカタチとは何なのか?                  実はもうすでに幸せな部分はいくつもあるのではないだろうか?

・仕事で大きなミスをした。もうやっていく自信がない。                  →自分ではミスと捉えているが、他から見ても果たして同じ評価なのだろうか?        これはミスではなく、もっと大きな成功に向かっての過程であり、必要なことではなかったのだろうか?

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では、これらのことをリフレーミング(枠組みを変換)するにはどのような方法があるのか?

① IF(もし◯◯だったら?)のリフレーミング                    →悩みや考えに行き詰まった時に、「もし◯◯を」と相手の立場や、ある時期を想定することで思考の範囲を広げ、多面的に捉えていく。

②言葉のリフレーミング                               →先程述べたネガティブな性格などをポジティブに変換することをやってみる。      「神経質」⇨「細かいことによく気がつく」などの枠の変換。

③時間軸のリフレーミング                              →何か問題が起きた際に、「今ここいる自分」を別の時間軸に置き換えて自分を見つめなおす。そうすることで、何か次につながるヒントを得ることができる。            例えば、

「今この作業は、将来の自分が見ればどう思うか? やって良かったと思えるか?」

「過去の失敗に対し、その時の自分はどのように捉えていて、今の自分なら、未来の自分なら果たしてどう感じて、どうしていくだろうか?」

④解体のリフレーミング                               →自身の欠点や短所について悩んでいる場合、その悩んでいる内容を、

「なぜ思う?」「どんな時に思う?」

「どこで思う?」「何で思う?」

「どのように思う?」

と一旦その悩みを解体し、具体的に課題として自覚する。そうすると改善策を見出しやすくなったり、そもそも

「そこまで悩むことでもなかったな」

「何か単なる勘違いだったわ」

となる場合もあるだろう。

⑤Want(◯◯をしたい)のリフレーミング                      →何かミスをした時に、それを悔やんだり思い悩むのではなく、

「じゃあ自分はどうしたいのだろう」

「次はどうすれば同じミスをしないようにできるのだろう」

と、気持ちを整理し、すかさず未来へと思考を向けるのである。

そのひとつエピソードとして、「坂本龍馬」は、生涯ミスをしても思い悩まなかったそうだ。なぜなら、失敗した瞬間に「次はどうすれば良いか?」とすぐさま思考を変換させる癖があった為である。

今の自分に納得がいっていない

何をするにも自信がない

何をやってもうまくいかない

ネガティブなことばかりが頭に浮かんでくる

今の環境から脱却し、新たな環境でチャレンジしたい

自分を奮い立たし、モチベーションを上げていきたい 

これらのように思っているあなた。

リフレーミングを行うことで、今の生活や人生を変えていくことが可能なのだ。

もちろん、環境を変えればそれなりのリスクも考えられる。

しかし、何もしなければ今のままだ。

そう何も変わってはいかない。

「わずかな勇気」があれば、行動はそこからだ。

今回このブログを読んで、もしあなたにそのわずかな勇気が生まれたのなら、

まずは小さい小さい何かから始めることはできるはず。

今しかない。今がその時。

ひとたびスタートできれば、徐々に軌道に乗っていく。

「思考の変換」から「小さなアクション」へ。

あくまでポジティブに。

心理カウンセリングのご予約はコチラのHP

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不安な時は誰かに話しを聴いてもらおう

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ほとんどの人は生きていく上で、不安やイライラや困りごとを抱えている。

お金の問題、人間関係の問題、自分の性格への問題など内容は様々。

そうした時に、自分だけでその不安やイライラを解消できればそれで良いのだが、なかなかそう簡単にはいかないのが現実である。

やはり自分だけでは、知識、経験、感じ方、どれをとっても限界があり、狭い視野になってしまいがち。

そうした時に、「誰かに話してみる、誰かに自分のネガティブな気持ちを聴いてもらう」これが大事なのだ。

誰かに話すことで、自分の考えが整理されたり、見えなかったことが見えてきたり、なぜかスッキリしたり……。 その効果はとても大きい。

中には「とにかく何らかの解決策を求める人」もいるだろうが、

まず自分自身で考え、「こうすることに決めた!」があり、

その後行動することで、良くも悪くも結果を出し、自分の糧にしていく。

その積み重ねが、その人の「自信」になり、「人生」になっていく。

人に言われて出した結果でうまくいかなければ「人のせい」にしたくなるかもしれない。

うまくいったとしても「自分の力で成功したのではない」と心から喜べないかもしれない。

だから私は「自分自身で」見出した答えを重要視したいと思っている。

この考えに至るまでには少し時間がかかったのだが、何かその手助けになればと思い、この度心理カウンセリングを開設した。

とにかく共感的に肯定的に話しをして心がスッキリすれば、自然にポジティブシンキングになったり、脳に余白が生まれ、アイデアも湧いてくる。

また、そんなことで不安やモヤモヤが晴れないということであれば、話しをしていく過程で一緒にどうしていくかを見出していけばよい。

詳細はリンクを貼り付けるので、ここをクリックしてHPで確認していただければと思う。

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※このブログでは「〇〇だ、〇〇である」と断定口調であるが、これはあくまでこのブログの中だけであり、カウンセリングでは普通に丁寧語(敬語)を使用するので安心していただきたい。

なんだかんだ言ったって…

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はたしてあなたは今やりたいことをやれているだろうか?

・やりたいことがやれている人
・やりたいことがあるのにできていない人
・やりたいことが何か分からない人
・そもそも何かやりたいとすら思わない人

どうだろう?

あなたはどれに当てはまるかだろうか?

みな、いろんな環境や状況下で生活しているわけだが、きっとその環境に左右されている人は多いだろう。

◆裕福な家庭、貧困家庭

◆理解のある親、優しい親、過干渉な親、無関心な親

◆気の合う友達がいる学校、いつもひとりぼっちな寂しくでつまらない学校

◆理解のある先生、全く親しみがわかない、相性が合わない先生

◆漫然と受けている授業、いつも楽しみな授業

◆やり甲斐があり仲の良い同僚がいる職場、
 面白みもやり甲斐もないのに生活の為に漫然と働き続ける職場

◆求心力があり理解のある上司、全く賛同できないマインドの上司

◆上司のやり方に納得し働き続ける自分、
 上司のやり方に泣く泣く迎合する自分、
 上司のやり方に反発しつつ何とかやり続ける自分

◆同じ方向を向いている同僚、愚痴を言い合える同僚、
 全く相性の合わない同僚、イライラや文句をぶつけてくる同僚

◆仕事や家庭の両方を分担して生活できている夫婦、
 役割や負担が明らかにどちらかに偏っている夫婦

◆シングルでも、明るく逞しく子育てしている父や母や祖母や祖父、
 シングルで毎日何とか働き、家事もこなし、ギリギリの生活で疲弊している父や母や祖母や祖父

◆家族も親戚も皆健康で何の心配も必要ない人たち、
 病気や介護が必要で、誰にも相談できず、助けもなく、ひとりで世話をし、疲弊している人たち

◆とても健康な自分、持病がある自分、不治の病と闘っている自分

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「やりたいことに向かって後押ししてくれる環境や状況」

「いつも壁となり、自分の選んだ道を阻害してくる環境や状況」

どちらも目の前の現実に変わりない。

「お金もない」
「仕事もない」
「健康でもない」
「家族もいない」
「友人もいない」
「話せる人もいない」

だから、やりたいことができない
だから、やりたいことが見つからない
だから、やる気がしない

このような思いの人たち

ではどうする?
このままあきらめてしまうのか?

ただ日常を漫然と過ごしていくのか?

やりたいことがあるのにできていない人
やりたいことが分かっているのなら、あとは行動するのみ。
劣悪な環境下であっても、日常生活を少しでも工夫して、まずは少しでも取り掛かれないか?
少しでも取り組めたなら、それは成功への始まり。

やりたいことが見つからない人
やりたいことが見つからないなら、見つかるまで探してみよう。

やる気が起きない人
人生を文化的に生きなければ、それはつまり動物と同じ。
人間に生まれたからには、考えて、楽しんで、充実した人生を歩んでいこう。

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行動しよう
行動すれば何かが起きる
道が無くなれば、また道を作れば良い

人を頼っても良い
世の中に道は無くなることはない

行動すれば何かが見えてくる。
今まで見えていなかった道が見えるようになる。


そして行動した内容は、どんどん発信していこう。


誰かに話して聴いてもらおう。

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何だかんだ言ったって
やりたいことはやるべきで…

あくまでポジティブに。

「サンクコスト効果(コンコルドの誤謬)」

いきなりだが、皆さんはこのようなケースの場合、その後どのような動き方をするだろうか?

毎日忙しい中、何とか時間を作り、今話題になっている映画を観に来た。

お財布事情も厳しいのだけれども、2000円でチケットを購入し、映画館に足を踏み入れた。

全くその映画の予備知識はないのだが、世間で評判になっていることと、タイトルの感じで自分が好きなタイプの映画ではないだろうかと、ワクワク感で胸が躍る。

さあ映画が開始。

10分経過。

「ん? 何か思っていたのとは違う?」

「いやいや。評判の映画だ。これから面白くなるはず」

30分経過。

「やっぱり思っていたのと違うし、あんまり面白いとは思えないな。でも・・・」

さてどうだろう? 皆さんならその後どんな動きをするだろうか?

ちなみに私なら、

「まだこれから違う展開になり、面白くなるかもしれない。せっかく忙しい中、時間を作ったし、ギリギリのお小遣いをはたいたんだから最後まで観る!」

となるだろう。

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この心理状態を【サンクコスト効果】という。

「サンクコスト」とは日本語で「埋没費用」や「過去コスト」と呼ばれ、「将来的に回収できる見込みのないコスト」の意味である。

同じ意味で【コンコルドの誤謬(ごびゅう)】とも呼ばれる。

これは実際に「超音速旅客機コンコルド」の投資に起きたところからきている。

コンコルドはマッハ2を超す画期的な開発であったわけだが、乗客定員数の少なさや燃費の悪さの問題から採算がとれないことが開発途中で判明。 しかしそれまでに巨額の費用を費やしたことを惜しみ、開発が中止できなかった。

結果、その時勢の影響もあり、膨大な損失を出して倒産する結果となった。

つまりすでに使った費用やコストに対し、

「もったいない」 という心理が働き、

【合理的な判断ができなくなる状態】

のことで1種の認知バイアスと言える。

もし映画を途中で切り上げていたとしたら?

その余った約1~2時間で何かができたはず。

・途中で切り上げた仕事の続きができたかもしれない。

・家族や友人と何か将来につながる大切で充実した時間を過ごせたかもしれない。

我々の日常生活の中では、いくつもの認知バイアスが発生している。

今回もこのようなバイアスが発生しているということを知識として持っていてほしい。

特に「サンクコスト効果」はいろんなパターンで身近に発生している。

目の前のことだけを見て、それをできるだけ最小限の「損失」にとどめることができなければ、その先「もっと大きな損失」になりかねない。

賢明な判断をすることで、「一時的な損失」がプラスに転じる可能性も充分にある。

時間はお金に変えられない

過ぎた時間は戻ってこない。

目の前の事象に直面した時に、

「果たしてこの時間は自分にとってどれほどの価値があることなのか?」

と自問自答し、冷静に考える思考をもってほしい。

また経験を重ねることで、合理的な判断ができるよう精度を高めてほしい。

あくまでポジティブに。

「ハインリッヒの法則」と「パートナーとの関係性」

皆さんはこの言葉をご存知だろうか?

これは、ハーバード・ウィリアム・ハインリッヒが提唱した、労働災害における怪我の程度を分類したその比率である。

具体的には、【1件の重大事故の裏には、29件の軽微な事故と、300件のケガに至らないヒヤリ・ハットがある】 という内容。

別名【1:29:300の法則】とも呼ばれる。

もっと言えば、この300件のヒヤリ・ハットの前段階にはいわゆる「不安全行動」「不安全状態」が無数に存在していると言うのだ。

私の解釈としてはこうなる。

つまり、

「重大事故というものは ある日突然発生したように見えて、実はそれ以前にいくつもの段階の中で何重もの細かい原因や前提があって、それが積み重なって発生したもの」という解釈だ。

さて、ここでふと思ったことがある。

これは、人間関係にも当てはまるのではないかと。

例えば、恋人同士、夫婦関係において、

ある日突然、

「別れましょう」

と言われた経験はないだろうか?

これは特に女性から男性へのメッセージが多いのではないかと思うのだが、 言われた方としては、

「え? ちょっと待って! 何で急に? 」

とパニックに。

しかし、別れを切り出した方は、実はもっともっと以前から何らかのサインを出している。

自分の前では学校や仕事の愚痴ばかり

楽しい場面でも楽しそうにしない

全然話を聞いてくれない

相談事やお願い事もスルー

パートナーのことを否定する

他の人のことばかりをほめる

生活習慣や考え方のズレ

このような些細なことを気にしている方と気にも留めていない方の差は日々広がっていき、我慢できなくなった方が「別れ」を切り出すのだ。

そして、言われた方は未練があるが、言った方はもう最後の段階まで来ているので、今更考えは覆らない。

冒頭に述べた【ハイン・リッヒの法則】だが、 重大な事故を防ぐ方法としては、いかに「ヒヤリ・ハット」や「無数の不安全行動、不安全状態」を見逃さないか、が挙げられる。

集団の場合は、これをいかに共有して、早い段階で防止していくかだ。

このことを知っていれば、こと恋人関係や夫婦関係においても、 はたまた職場の上司部下や同僚においても、適用できるはず。

今の生活を振り返ってみて、

「この関係性にズレや溝が生じ始めてはいないか?」

を日々意識することが大事なのではないかと思う。

いつか、お互いが望んでいなかった悲惨な結末を迎えない為にも、これらのことを意識してほしい。

日常の些細なサインを見逃してはならない。

あくまでポジティブに。

「確証バイアス」とは

人は一旦相手に嫌悪感を抱くと、とことん嫌いになってしまう。

一方、人は一旦相手に好意を抱くと、とことん好きになってしまう。

こんなふうに、皆にも思い当たる経験はないだろうか?

ここで別の角度からも述べてみたい。

例えばビジネスの場面において、名刺の肩書(役職名)、履歴書に記載されている学歴や職種等を最初に知るとする。

そして、その時の第一印象が良かったとしよう。

その後何度もやりとりしていく中で、その相手はミスをしたり、ちょっと対応が悪かったりしていることがある。

しかし、一旦その相手に良い印象を抱いているので、相手の良い部分を無意識に拾ってしまい、「ああ、やっぱりこの人はすごい人なんだ」と、もっと強い思いに発展していく。

一方、その逆で、最初の相手の印象が悪かったとして、それが割と強烈なものだったとしよう。

その後何度もその相手とやりとりしていく中で、いくらその相手がクレバーな部分や愛想が良かったりしたとしても、

無意識に相手の悪い部分しか拾わず、「ああ、やっぱりこのひと嫌だわ」と、より一層相手に対しての嫌悪感が増してしまう。

つまり、これらは個人の先入観「良い悪い」が先にあって、

その考えに沿った情報を、相手との接点の中で、自分の都合の良い情報ばかり無意識に拾ってしまっているのである。

これは心理学的に、数ある認知バイアスの中の「確証バイアス」と呼ばれるもの。「思考の偏り」であり、思考のクセである。

人間の脳は「省エネ」で動こうとする。一部の情報だけで全体像を判断しようとしてしまう。

普段からこのような「確証バイアス」に陥っている人は、自身で意識してその「思考の偏り」を改善しなければずっとそのままなのである。

ここで注意しておきたいのだが、一部ではなく限りなく全部に近い、つまり「長い付き合いの中である程度の部分を見れた段階」で、

それでも「好きだ、嫌いだ」となった場合は、それは本当に「フィーリングが合う」とか、「生理的に無理」ということになる。

好きな場合は自然にしていれば良いし、嫌いな場合は、無理をして接点を持とうをする努力は不必要だと、私は思っている。 

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また、特筆すべきことがひとつ。それは「好きでも嫌いでもない、グレーな存在」のことだ。

これは、安易に一部だけを見て、その人の全てを決めつけようとしてしまう「思考の偏り」を持つ人に有効なのかもしれない。

つまり「好きと嫌いの中間(ワンクッション)を持つことで、比較的安定した関係性を保つ」ということである。

間のゾーンを設定することで、「果たしてこの人のことを好きなのか嫌いなのか?」「相性の良い人なのかそうでないのか?」と冷静に見極める余裕も生まれる。

相性が良ければ、その後もう少し距離を縮めて良いかもしれないし、

相性が悪ければ、そのグレーな状態をキープする、もしくは回避していくのでも良いだろう。

 

以上「確証バイアス」「思考の偏り」について述べてきたが、実はこれらのバイアスを逆手に取るという方法もある。

つまり「第一印象を良くするように努力する」ということ。

相手に不快感を与えない「身だしなみ、言動、心遣い」等、できることはいくらでもある。

一旦相手に強烈に良い印象を抱いてもらえたら、それは少々のことでは覆らないということだ。

 

「確証バイアスに陥っていれば修正を」

「第一印象を良くするように努力する」

あくまでポジティブに。

最高のパフォーマンスを発揮する為には

先日、昨年のサッカーワールドカップで大活躍した吉田麻也さんのVTRを観た。

吉田さんは世界を舞台に移して約10年になるとのことだが、メンタルを強化する為に、メンタルコーチと契約している。

選手同士での食事中のVTR。 そこである興味深い話を耳にした。

「どうあがいても変えることの出来ない目の前の現実にフォーカスするのではなく、自分が出来ることにフォーカスしていくことが大事」との言葉である。

例えば渋滞している車内を想像してほしい。車内にいる人、特にドライバーはイライラしていることが多いだろう。

しかし、長い渋滞に巻き込まれた状態を抜け出すことに対し、車内の人間に一体何ができるだろうか?

そうだ何もできない。何もしようがない。

でもイライラする。

イライラすると、余計なエネルギーを消費することになる。

これは・・・・・・ そう「無駄」である。

こんなことにエネルギーを使うくらいなら、渋滞を抜けだし、目的地にたどり着いてから思いっきり楽しむなり、行動する時にエネルギーを使った方が良いに決まっている。

人は日常的に無意識に

「怒り」「嫉妬」「ストレス」

を抱えている。

エネルギーのキャパシティが100%だとする。

そして、仮に、怒り、嫉妬、ストレスに30%のエネルギー使ったとする。

そうなると「仕事」「勉強」「遊び」に使えるエネルギーは残り70%。

では、このパフォーマンスを限りなく100%の状態にもっていきたければ、どうすれば良いか?

そうだ。

日常的に沸き起こる、蓄積される「怒り」「嫉妬」「ストレス」をいかに徹底的に排除していくかである。

自然に沸き起こるこれらのネガティブ感情。

いかに自分を客観的に捉え、意識的にネガティブ感情を排除し、コントロールしていくがか最高のパフォーマンスを発揮する決め手となる。

最高の人生の為に。

ポジティブシンキングで。

「希望」とは

日常茶飯事に使っているこのワード。

そもそも「希望」というこの言葉の意味とは?

辞書にはこう書かれている。

・こうなってほしいと望み願うこと。

  またその願い。

・将来に対する明るい見通し。

 

では「希望」という言葉を言い換えるとすればどんな内容がしっくりくるだろうか?

例えば私が考えるのは、

・誰もが自由平等に持つことができる願い。

・誰もが持っているが、時に見落としたり、気づきにくかったり前向きさ。

・毎日の生活の原動力になるもの。

などである。

 

どんな時に「希望」は生まれやすいのか?

・満足していない日常

・困窮した生活

・疲弊した身体及び心理状態

 

果たして、このような状況や状態であったとして、黙っていて生まれるものなのか?

いや生まれない。

 

自宅に閉じこもっていて自然に生まれるか?

いや生まれない。

 

ずっとひとりで考えていて生まれるか?

いや生まれない。

 

あるドラマでこのようなセリフがあった。

「希望とは信じられる人がいること」

確かにそうなのかもしれない。

漠然と「希望」という言葉を使っていた私であったが、その本質に気づいたのはこのセリフを聞いたその時であった。

 

でもまずは自分のことを信じられなければならない。それは「自信」。

そしてその「自信」を生み出したなら、今度は「希望」。

ひとりでできることなんてたかがしれている。

人生とは、人と人との相互関係によって成り立つ。

ひとりで世界は広がらない。

人生は豊かにならない。

 

この世の中(家族、会社の同僚や上司、友人、趣味の仲間)にひとりでも信じられる人がいれば、それが「希望」になり、 いなければそれはたちまち「絶望」となる。

自分と同じ考えでも、例えそうでなくとも、

相手を尊重する

リスペクトする

同時に自分という人間も受け入れてもらう

そのような関係性の中で「希望」は生まれ、また日々前向きに形を変えていくのではないだろうか。

 

あなたの身の回りに、信じられる人は存在するか?

「いや、そんな人はいない」と思うあなた。

では、これから信じてみようと思える人はいないか?

 

すべてはあなたの行動と考え方次第。

一度立ち止まって考えてみてほしい。

あくまでポジティブに。