ギフテッド

朝の番組で「ギフテッド」という、あまり聞き慣れない言葉を耳にした。

ギフテッドとは、「一般的な人々と比較して先天的に顕著に高い知性や精神性、共感的理解、洞察力、独創性、優れた記憶力を持つ、IQ130以上の知能を持つ人々のこと」をいう。

神から与えられた言わば「天賦の資質」という表現もある。

加えて、世間での「成功を収める収めない」は定義上関係ないらしい。

同調圧力の文化が主流なここ日本では、そんな自分をあえて目立たせないようにする人たちが多い。

そんな中、逆にその才能を伸ばす取り組み「ギフテッド教育」なるものも存在するようだ。

しかし、これらの話を聞いて、何か感じたことはないだろうか?

そう、ASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠陥・多動性障害)などの、いわゆる「発達障害」の人々のことである。「発達障害」の中にも特異な才能を持つ人が多いからだ。

特に発明家、小説家や脚本家などの文筆業、画家や音楽家、書道家等のアーティスティックな分野ではそうだと言える。

最近は芸能人からのカミングアウトも増えている。

しかし、どうやら「ギフテッド」と「発達障害」は、学術的・医学的にも「似て非なる」解釈のようだ。

他に思い浮かんだのは「HSC(ハイリーセンシティブチャイルド)、HSP(ハイリーセンシティブパーソン)」の存在である。

高い知能と共感的理解、深い洞察力などの豊かな精神性をもつところが、この「ギフテッド」と似ているのではないかと思ったのだ。

ギフテッド、発達障害、HSC、HSP・・・これらの特徴について、円を描けばどこかが重なる。

実際、各々がどのカテゴリーに属するのか、より専門的な検査を受けてみないとハッキリは分からないのだろう。

だが、間違いなく言えることは・・・

その特性特徴を「強み」と捉えること

「できないこと」ではなく「できること」にフォーカシングすること。

ただそれだけでいい。

シンプルな思考で。

ポジティブに。

国家試験を終えて

7/17日曜日、試験を終えた。

午前、午後、共に2時間の実施。

とにかく疲れた。

手応えがなかったので「自己採点はするまい」と思っていたが我慢できず解答速報に手を伸ばし、気がつけば採点する自分がいた。

結果、合格点には届かなかった・・・

敗因を挙げるとすれば、時間配分。この試験は択一式は各1点。事例問題は各3点と、後者でかなり左右される。

前半の択一式で時間をとられ、事例問題に余裕をもって取り組めなかった。自分では事例問題は得意としていただけに、本当に残念である。

模試は1度だけ受けていたのだが甘かった。

今回の試験、今までの4回分の過去問に比べると、何となく出題のニュアンスが変わったと思ったのは私だけか?

しかしこれらは全て言い訳になる。

残念ながら、今回は運もプレッシャーも味方につけることはできなかった。

この半年以上、日課のように勉強していたのだが、いざ試験が終わると、現実に違和感があり、燃え尽きたような何ともいえない数日間を過ごした。

今回の試験で受験資格は終了。

本当にワンチャンだったわけだが、これをモノにできなかったのは紛れもない事実であり、私はこの現実を受け入れなければならない。

しかし・・・何だろう、試験直後に感じていた違和感のようなものは、日々薄れていっている。そして、それは「爽快感」や「充実感」のようなものに移り変わろうとしている。

この半年間やれることはやってきた。合格を信じて目標につき進んできた。結果はダメだったが、やりきった感がある。

もしこの資格が欲しいのに自信や費用がないことであきらめてしまったり、当日コロナや体調不良等で受験できなかったことを考えると、絶対に悔いが残ったと思う。

自分を信じて、やれることをやって、当日も無事に受験できたわけで。

確かTVのCMでも言っていたかな?

「やらない後悔は一生の後悔となる」と。

なので、今回かなりの費用や時間を費やしたが、今の私には悔いがない。

その分、今回学んだことは日常や仕事に生かし、むしろまた色んなやりたいことを今後もチャレンジしていこうという気になった。

これを繰り返していくのが人生。

その積み重ねが自身の成長につながると信じている。

ポジティブシンキングで前を向いていく。

私はまだまだこんなことでは終わらない。

国家試験まで残り1週間!

昨年末くらいから日々の隙間時間を利用して、何とかやってきたわけだが、とうとう試験まで残り1週間となった。

もしかしたら既に未来は決まっているのかもしれないが、最後の悪あがきを実行したいと思う。

この国家試験、5年の特例措置があり、今回がその5年目。私が受験できるのは今回のみ。泣いても笑ってもこの試験が最初で最後のワンチャンス。

運もプレッシャーも全て味方につけるには、最後まであきらめないこと。

ポジティブシンキングで最後までやりきってみせる。