人気マンガ「鬼滅の刃」に登場する「我妻善逸」というキャラクターをご存知だろうか?
ご存知でない方の為に、少し説明しておく。
善逸は鬼を滅亡しようとする「鬼殺隊」の一人で、「雷の呼吸」といわれる流派を扱う。
そして、かなり臆病な性質で、気絶した時に本来の能力を発揮するという特異なキャラなのだ。
ある意味、そのギャップが魅力であるのだが、それよりも何よりも特筆する別の魅力がある。
それは「ひとつの技しか使えない」ということ。
鬼殺隊にはそれぞれ特有の流派があり、おおよそ「壱ノ型〜拾ノ型」を使える。
しかし、善逸が使えるのは「壱ノ型」の1種類。
これらの型は、それぞれ「柱」と呼ばれる師匠の元で修行して身につけるのだが、
彼は不器用で臆病である為に、ひとつの技しか習得出来なかったわけである。
善逸は、過酷な修行から何度も逃げ出そうとする度に、柱に連れ戻される。
「自分には能力がない」
「自分にはできない」
と、自己を肯定できない善逸に対して、柱はこのように言う。
「不器用なら、ひとつの技を磨いて磨いて磨ききって、極めれば良いのだ」と。
おそらくこの時、善逸は、初めて自分を肯定出来たに違いない。
そして、その柱の言うように、善逸は自己研鑽を怠らず、後に結果を残すようになる。
さて、皆はこの善逸に対してどのような感情を抱いただろうか?
「”壱ノ型”しか使えないなんで情けない、カッコ悪い」と思った方も当然いるだろう。
しかし私は、この善逸には非常にシンパシーを感じている。
なぜなら、かくゆう私も「不器用な人間のひとり」だからだ。
広告・料理は苦手だが、唯一「卵焼き」だけは上手に作れる。
・バスケットボールは苦手だが、リバウンドだけは上手い。
・野球でバッティングや守備は下手だが、足だけは速い。
・顔やスタイルに自信はないが、ファッションだけは褒められる。
・大勢の前やグループで話すのは苦手だが、1対1なら上手に話せる。
・ピアノは苦手で楽譜も読めないが、でもこの曲だけは弾ける。
・国語は苦手だが、漢字だけは得意。
もちろん、まんべんなくできる能力や器用さがあれば、それに越したことはない。
ただ一体そんな人がどれだけ存在するのだろう?
誰もが二刀流を扱う”大谷翔平さん”のように器用なわけではない。
わざわざそのような人と比較して、
「自分はあの人みたいにはできない」と卑下する必要もない。
どんな分野でも、何かひとつだけでも
「これは楽しい」
「これなら上手にできる」
そのようなことがあれば、生きていく上での武器になり、
気がつけば、自信になり、ゆるぎない自己肯定、自分軸へと変化していく。
広告ここでひとつだけ注意しておきたいのは、
”受け身では見つからない”、”何もしなければ見つからない”、ということ。
「自分には何の取り柄もない」
「楽しいこと、できることなんでひとつもない」
実はこれ自分にバイアスがかかっている(認知が歪んでいる)状態であって、
実際はそうではない。
自分の人生をゆっくりと、じっくりと振り返ってみてほしい。
のめりこむまでとはいかなくても、ほんの少し
「楽しかったなあ」
「何となくうまくできた気がするなあ」
と思ったことはきっとあるはず。
ヒントは今までの自分の中にある。
それが見つかれば上出来。
後はまたそれをやってみて、少しずつ発展させていけば良いのだ。
是非とも、ひとつのことを極めようとする自分、
極めた自分をイメージしてみてほしい。
自己を肯定するのに、
自信を持つのに、
人や世間の役に立つのに、
自分軸で生きていくのに、
「器用さ」は決してマストではない。