「親ガチャ」は平等か?不平等か?

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最近ではよく耳にする人も多いだろうこの言葉。

これは、親や家庭環境が子どもの人生に大きな影響を与えるにも関わらず、

「子どもは親を選べない」

「どのような環境に生まれるかは運任せ」

ということを、

アイテムを引くまで中身がわからない玩具やゲームの「ガチャ」を例えて表現したものである。

では、この「親ガチャ」は平等なのか?それとも不平等なのか?

ここでまず、

「良い親/良い家庭環境」とは?

「悪い親/悪い家庭環境」とは?

これを考えてみたい。

【良い家庭環境】=お金持ち、家柄が良い、両親の仲が良い、家が大きい、有名人、社会的地位がある、高学歴、容姿端麗、コミュニケーション力が高い、人気者、友人知人が多い、人当たりが良い、優しい、健康

【悪い家庭環境】=貧乏、家柄が悪い、壊れそうな小さい家、低学歴、社会的には認知されにくい職業、親の見た目が醜い、支配的、暴力的、過干渉、友人知人が少ない、両親が不仲、不健康、病的

どうだろう?

単純に考えれば、

良い環境に生まれたら「お父さんお母さん、自分を生んでくれてありがとう!」となり、

悪い環境に生まれたら「何で自分はこんなところに生まれてきたのだろう。自分を生んだ親を恨む。自分は不幸でしかない」となるだろうか?

かくゆう私が生まれてきた家庭も、決して良い環境とは言えず、相当苦労してきたうちのひとりだ。「何で自分はここに生まれてきたのか?」と嘆いたことがなかったかと言えば嘘になる。

これらはあくまで「単純」に考えた場合で、例えば、

貧乏でも温かみのある家庭なら幸せだと感じることもあるだろうし、

お金持ちでも家柄が良くても、親が支配的で自由を束縛されることもあるはず。

良い要素も悪い要素も、生まれてきた自分の価値観によるところもあり、一概には判断できないこともある。

これは仕事や結婚観とも似ているのかもしれない。

「給料は安いが、人間関係は良好」な会社。

「見た目も収入もイマイチ、だけども相性はピッタリな伴侶」

100%良い悪いはない。

要は「これだけは譲れないポイント」「優先順位」というものがあり、

それが満たされればOK、ということだと思うのである。

だが現実的には、

「毒親からの虐待から逃れられない」

「この家庭に居ることがマイナスでしかない」

「こんな家庭に生まれ、不幸でしかない」

そういう被害を受けている、あるいは不幸に思っている人も多いだろう。

毒親から被害を受けすぎて、脳が正常に働かず、柔軟な思考を奪われていることも。

ただ、これで終わってしまってはいけない。

世の中には、何らかの救済措置があったり、自分からアクションを起こすことで、マイナスの人生から脱却できるチャンスが必ずあるはずだからだ。

確かにそう簡単にはいかないかもしれない。

だが【悪い家庭環境=不幸な人生】。そう決めつけてしまうにはまだ早い。

一旦そう思うと、脳にバイアスがかかり、ネガティブな情報ばかりに気を取られ、更なる悪循環を招いてしまう。

「人はどこの家庭に生まれてくるかは分からない。選べない」

誰しも家庭を選べないわけだから、

厳密に言えば「親ガチャ」自体は「平等」と言える。

もっと言え

自分が不幸だと思う家庭に生まれてきても、

どうにかして誰かに助けを求めたり、自分の頭で考えて行動に起こすことは出来るはず。

これを「するしないの選択肢」を選ぶのは紛れもない自分の権利であり、これすなわち「平等」なのではないだろうか?

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私も、親のせいにしたことがあった。

親を恨んだこともあった。

しかし、このままだとダメだとも思った。

何も変わらないと思った。

だから人に助けを求めつつ、助けられつつ、自分で努力もしてきた。

「今の親(家庭)が辛い」

「劣悪な環境に身を置いている」

「逃げ出したい」

そんな方々へ。

一度しかない自分の人生を、決してあきらめてはいけない。

人生は最後までどうなるか分からない。

最後には笑おう。

あくまでポジティブに。