追うべきものが「結果」ではない理由

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イソップ童話「ウサギとカメ」。

誰もが一度は聞いたことはあるだろう。

山のふもとまで、かけっこで競争した結果、「カメの勝利に終わる」という意外な結末である。

足が速く、躍動感のあるウサギ

動きがとてもゆっくりなカメ

この勝負、明らかにウサギに分がある。

現に「俺の方が足が速い」と言ったのはウサギである。

しかし、一説によると、カメの方から「じゃあやってみようか」と勝負を挑んだとある。

これはどういうことなのか?

この時、カメは一体何を思っていたのか?

私としては、カメに勝算があったとは到底思えないのである。

感情的になってしまったのか?

それとも自暴自棄になったのか?

いやいやどうして、それは温厚なカメらしくない。

それではなぜか?

そこで私としては、こう考察する。

【そもそもカメは”勝ち負け”というマインドではなかったのではないか】と。

いくら何でも、カメだって、普通に勝負すれば負けることは分かっていたはずだ。

では「100%負けるのか?」と言われたら、そうではない。やってみなければ分からない部分もある。

きっと、カメとしては、「ウサギに勝とう」というのではなく、

【自分の力を出し切ろう。必ずゴールまで止まらずに行こう】という考えであったのではないだろうか?

その結果、ウサキが油断して、自滅することになり、カメの勝利となったのではと。

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この童話の本来の教訓としては、

ウサギ側としては、【いくら能力が高くでも油断してはならない。相手をあなどってはいけない】

カメ側としては、【明らかに負け勝負と思っていても、やってみなけりゃ分からないし、最後まで諦めてはいけない】といったところだろう。

しかし、私としては、

【どんな競争であっても、闘うのは相手ではなく常に自分。いかに自分の力をその場で出し切れるか? 出し切れた人だけに、幸運の女神が微笑むこともある】ということを付け加えたい。

この我々の社会生活において、勝負を意識し過ぎれば、結果を出そうと躍起になってしまっては、緊張や負荷がかかりすぎて、本来の自分の力が出せなくなる時が往々にしてある。

大事なのは、

競争の原理にとらわれることなく

無理に結果を追い求めず

目指すべきゴールに向かってひたすら淡々と粛々と行動していくこと。

成功すれば儲けもの

そのマインドで。