
何かを始める時に、人は大きな成功や可能性、不安や恐れなどから、良くも悪くも気持ちは高ぶり、エネルギーに満ちあふれている。
この状態を大きなくくりでみると「ポジティブな状態」と言えるのだろう。
そして、始まりがあれば、いつか必ず終わりはくる。
私としては、むしろ「終わり」は「始まり」よりも重要ではないかと思っている。
この「終わり」についてどう捉えるか?
どのように「終わる」か?
昨今、確固たる人気や地位を築いたアイドルグループやバンドの解散や終了の話題をよく耳にする。
その理由としては、大体下記の2つのパターンに分かれる。
メンバーの不祥事などにより、そのファンを結果的に裏切る、悲しませるような「終わり方」になる場合。
そして「方向性の違いや価値観の相違」による脱退や解散については、ファンにしてみたら残念な話しではあるものの、アーティスト本人たちとしては、ある意味前向きな「終わり方」になる場合。
この終わり方の違いがもたらす周りへの影響は非常に大きい。
「始まり」があれば「終わり」が来る。
「絶頂期(ピーク)」もあれば「衰退期」もある。
物事は「栄枯盛衰」。
これは、恋人関係、夫婦関係、職場でも同様のことが言える。
そうであるはずなのに、あまりに皆「終わり」を意識しなさすぎてはいないだろうか?

数年前のこのブログで私は、心理学者・行動経済学者の「ダニエル・カーネマン」が提唱した【ピーク・エンドの法則】というものについて述べたことがあった。
これは、人の記憶や印象の善し悪しは、その出来事の中で【最も高ぶった時(ピーク)】と【クライマックス(エンド)】だけで決定づけられるという内容である。
ピーク時は本人たちもファンも誰も傷つかない。「楽しい」「幸せ」なだけである。
しかし「エンド(終わり)」は違う。
ひとつ方法を間違えれば、ネガティブな結果となり、ピーク時の幸せな時期の印象でさえも「悪しき記憶」と化してしまう可能性がある。
古くから「終わりよければ全て良し」という言葉がある。
これはまさにその通りで、最期を意識して、自分を、自分を取り巻く人のことも考えた終わり方にすることで、大きなくくりではポジティブなものになる。
ポジティブに終わる。
すると、「人生の終わり」ではない限り、「その終わり」からまた次の何かが始まる。
惰性で終わるのではない。
悲しい終わり方でもいけない。
次の新たなステージにつながるよう、前向きに意図して終わるのである。
そう心掛けよう。