「トロッコ問題」から思うこと

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【トロッコ問題

これは1967年にイギリスの哲学者フィリッパ・フットが発表した論文で初めて提示された。

内容としては、「暴走するトロッコの進路を切り替えることで、5人の命を救う代わりに、1人の命を犠牲にすることが許されるかを問う倫理学上の思考実験」である。

つまり、多数を救うために少数を犠牲にすることの是非を問うているわけである。

これは、災害やパニック系のドラマや映画ではよくあるシチュエーションなので、比較的馴染みのある内容なのかもしれない。

ではこの「トロッコ問題」の正解はどちらなのか?

それは・・・「分からない」が正解。

なぜなら、自分が置かれている立場が違うからである。

例えば、日本国民という大きなものを守ろうする立場であれば、「大儀の為には、少数の犠牲はやむを得ない」と「ひとりの犠牲」を選択するだろうし、

「ひとりでも自分にとっては大切な人」と、家族や親友や恋人の立場では、「5人の犠牲」を選択するからだ。

だからこの問題に正解というものはない。

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そこでひとつ思うことがある。

【ひとりも犠牲者を出さないで済む選択肢は本当に無かったのだろうか?】

人は提示されている目の前の選択肢しかないと思う傾向がある。これはある意味「バイアスがかかっている状態」とも言える。

つまりだ。冷静さと余裕があれば、「トロッコの動きを止めてしまう」、「全員をその場から移動させる」という発想に至ったのかもしれない。

だから「冷静さと余裕」は常に必要なのだ。これは、「物事を客観視できる力」と言い換えることもできる。

何か困難にぶち当たった時、二者択一に陥った時、常に「第3の方法」を考えてみる。

「あの人ならどういった行動を取るだろうか?」このような考え方も有だろう。

そして、これらはあくまで「困難な状況」で限定すること。

なぜなら、好きなことで選択肢を増やすと、逆に満足度が低下してしまう可能性があるからだ。

緊迫した場面では、「時間がない」「人手が足りない」「どう考えてもこの2択しかない」。当然こんな思考に陥るのがほとんどであろう。

しかし、冷静さと余裕から、角度を変えたアイデアを出す。そして、自分の頭で、皆で考え、意見を出すことで、不可能が可能に変わる可能性もある。

緊迫した状態、脳が疲弊した状態。

これではいかなる場面でも、柔軟性を欠き、良い結果を招かない。

根を詰めすぎてはいけない

働きすぎてはいけない

悩みを抱えすぎてはいけない

普段の生活から、常に冷静さと余裕を持てる環境調整を心掛けよう。

それができれば、違った角度から物事が見えてくる。

あくまでポジティブに。