「ハインリッヒの法則」と「パートナーとの関係性」

皆さんはこの言葉をご存知だろうか?

これは、ハーバード・ウィリアム・ハインリッヒが提唱した、労働災害における怪我の程度を分類したその比率である。

具体的には、【1件の重大事故の裏には、29件の軽微な事故と、300件のケガに至らないヒヤリ・ハットがある】 という内容。

別名【1:29:300の法則】とも呼ばれる。

もっと言えば、この300件のヒヤリ・ハットの前段階にはいわゆる「不安全行動」「不安全状態」が無数に存在していると言うのだ。

私の解釈としてはこうなる。

つまり、

「重大事故というものは ある日突然発生したように見えて、実はそれ以前にいくつもの段階の中で何重もの細かい原因や前提があって、それが積み重なって発生したもの」という解釈だ。

さて、ここでふと思ったことがある。

これは、人間関係にも当てはまるのではないかと。

例えば、恋人同士、夫婦関係において、

ある日突然、

「別れましょう」

と言われた経験はないだろうか?

これは特に女性から男性へのメッセージが多いのではないかと思うのだが、 言われた方としては、

「え? ちょっと待って! 何で急に? 」

とパニックに。

しかし、別れを切り出した方は、実はもっともっと以前から何らかのサインを出している。

自分の前では学校や仕事の愚痴ばかり

楽しい場面でも楽しそうにしない

全然話を聞いてくれない

相談事やお願い事もスルー

パートナーのことを否定する

他の人のことばかりをほめる

生活習慣や考え方のズレ

このような些細なことを気にしている方と気にも留めていない方の差は日々広がっていき、我慢できなくなった方が「別れ」を切り出すのだ。

そして、言われた方は未練があるが、言った方はもう最後の段階まで来ているので、今更考えは覆らない。

冒頭に述べた【ハイン・リッヒの法則】だが、 重大な事故を防ぐ方法としては、いかに「ヒヤリ・ハット」や「無数の不安全行動、不安全状態」を見逃さないか、が挙げられる。

集団の場合は、これをいかに共有して、早い段階で防止していくかだ。

このことを知っていれば、こと恋人関係や夫婦関係においても、 はたまた職場の上司部下や同僚においても、適用できるはず。

今の生活を振り返ってみて、

「この関係性にズレや溝が生じ始めてはいないか?」

を日々意識することが大事なのではないかと思う。

いつか、お互いが望んでいなかった悲惨な結末を迎えない為にも、これらのことを意識してほしい。

日常の些細なサインを見逃してはならない。

あくまでポジティブに。

「確証バイアス」とは

人は一旦相手に嫌悪感を抱くと、とことん嫌いになってしまう。

一方、人は一旦相手に好意を抱くと、とことん好きになってしまう。

こんなふうに、皆にも思い当たる経験はないだろうか?

ここで別の角度からも述べてみたい。

例えばビジネスの場面において、名刺の肩書(役職名)、履歴書に記載されている学歴や職種等を最初に知るとする。

そして、その時の第一印象が良かったとしよう。

その後何度もやりとりしていく中で、その相手はミスをしたり、ちょっと対応が悪かったりしていることがある。

しかし、一旦その相手に良い印象を抱いているので、相手の良い部分を無意識に拾ってしまい、「ああ、やっぱりこの人はすごい人なんだ」と、もっと強い思いに発展していく。

一方、その逆で、最初の相手の印象が悪かったとして、それが割と強烈なものだったとしよう。

その後何度もその相手とやりとりしていく中で、いくらその相手がクレバーな部分や愛想が良かったりしたとしても、

無意識に相手の悪い部分しか拾わず、「ああ、やっぱりこのひと嫌だわ」と、より一層相手に対しての嫌悪感が増してしまう。

つまり、これらは個人の先入観「良い悪い」が先にあって、

その考えに沿った情報を、相手との接点の中で、自分の都合の良い情報ばかり無意識に拾ってしまっているのである。

これは心理学的に、数ある認知バイアスの中の「確証バイアス」と呼ばれるもの。「思考の偏り」であり、思考のクセである。

人間の脳は「省エネ」で動こうとする。一部の情報だけで全体像を判断しようとしてしまう。

普段からこのような「確証バイアス」に陥っている人は、自身で意識してその「思考の偏り」を改善しなければずっとそのままなのである。

ここで注意しておきたいのだが、一部ではなく限りなく全部に近い、つまり「長い付き合いの中である程度の部分を見れた段階」で、

それでも「好きだ、嫌いだ」となった場合は、それは本当に「フィーリングが合う」とか、「生理的に無理」ということになる。

好きな場合は自然にしていれば良いし、嫌いな場合は、無理をして接点を持とうをする努力は不必要だと、私は思っている。 

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また、特筆すべきことがひとつ。それは「好きでも嫌いでもない、グレーな存在」のことだ。

これは、安易に一部だけを見て、その人の全てを決めつけようとしてしまう「思考の偏り」を持つ人に有効なのかもしれない。

つまり「好きと嫌いの中間(ワンクッション)を持つことで、比較的安定した関係性を保つ」ということである。

間のゾーンを設定することで、「果たしてこの人のことを好きなのか嫌いなのか?」「相性の良い人なのかそうでないのか?」と冷静に見極める余裕も生まれる。

相性が良ければ、その後もう少し距離を縮めて良いかもしれないし、

相性が悪ければ、そのグレーな状態をキープする、もしくは回避していくのでも良いだろう。

 

以上「確証バイアス」「思考の偏り」について述べてきたが、実はこれらのバイアスを逆手に取るという方法もある。

つまり「第一印象を良くするように努力する」ということ。

相手に不快感を与えない「身だしなみ、言動、心遣い」等、できることはいくらでもある。

一旦相手に強烈に良い印象を抱いてもらえたら、それは少々のことでは覆らないということだ。

 

「確証バイアスに陥っていれば修正を」

「第一印象を良くするように努力する」

あくまでポジティブに。

最高のパフォーマンスを発揮する為には

先日、昨年のサッカーワールドカップで大活躍した吉田麻也さんのVTRを観た。

吉田さんは世界を舞台に移して約10年になるとのことだが、メンタルを強化する為に、メンタルコーチと契約している。

選手同士での食事中のVTR。 そこである興味深い話を耳にした。

「どうあがいても変えることの出来ない目の前の現実にフォーカスするのではなく、自分が出来ることにフォーカスしていくことが大事」との言葉である。

例えば渋滞している車内を想像してほしい。車内にいる人、特にドライバーはイライラしていることが多いだろう。

しかし、長い渋滞に巻き込まれた状態を抜け出すことに対し、車内の人間に一体何ができるだろうか?

そうだ何もできない。何もしようがない。

でもイライラする。

イライラすると、余計なエネルギーを消費することになる。

これは・・・・・・ そう「無駄」である。

こんなことにエネルギーを使うくらいなら、渋滞を抜けだし、目的地にたどり着いてから思いっきり楽しむなり、行動する時にエネルギーを使った方が良いに決まっている。

人は日常的に無意識に

「怒り」「嫉妬」「ストレス」

を抱えている。

エネルギーのキャパシティが100%だとする。

そして、仮に、怒り、嫉妬、ストレスに30%のエネルギー使ったとする。

そうなると「仕事」「勉強」「遊び」に使えるエネルギーは残り70%。

では、このパフォーマンスを限りなく100%の状態にもっていきたければ、どうすれば良いか?

そうだ。

日常的に沸き起こる、蓄積される「怒り」「嫉妬」「ストレス」をいかに徹底的に排除していくかである。

自然に沸き起こるこれらのネガティブ感情。

いかに自分を客観的に捉え、意識的にネガティブ感情を排除し、コントロールしていくがか最高のパフォーマンスを発揮する決め手となる。

最高の人生の為に。

ポジティブシンキングで。

「希望」とは

日常茶飯事に使っているこのワード。

そもそも「希望」というこの言葉の意味とは?

辞書にはこう書かれている。

・こうなってほしいと望み願うこと。

  またその願い。

・将来に対する明るい見通し。

 

では「希望」という言葉を言い換えるとすればどんな内容がしっくりくるだろうか?

例えば私が考えるのは、

・誰もが自由平等に持つことができる願い。

・誰もが持っているが、時に見落としたり、気づきにくかったり前向きさ。

・毎日の生活の原動力になるもの。

などである。

 

どんな時に「希望」は生まれやすいのか?

・満足していない日常

・困窮した生活

・疲弊した身体及び心理状態

 

果たして、このような状況や状態であったとして、黙っていて生まれるものなのか?

いや生まれない。

 

自宅に閉じこもっていて自然に生まれるか?

いや生まれない。

 

ずっとひとりで考えていて生まれるか?

いや生まれない。

 

あるドラマでこのようなセリフがあった。

「希望とは信じられる人がいること」

確かにそうなのかもしれない。

漠然と「希望」という言葉を使っていた私であったが、その本質に気づいたのはこのセリフを聞いたその時であった。

 

でもまずは自分のことを信じられなければならない。それは「自信」。

そしてその「自信」を生み出したなら、今度は「希望」。

ひとりでできることなんてたかがしれている。

人生とは、人と人との相互関係によって成り立つ。

ひとりで世界は広がらない。

人生は豊かにならない。

 

この世の中(家族、会社の同僚や上司、友人、趣味の仲間)にひとりでも信じられる人がいれば、それが「希望」になり、 いなければそれはたちまち「絶望」となる。

自分と同じ考えでも、例えそうでなくとも、

相手を尊重する

リスペクトする

同時に自分という人間も受け入れてもらう

そのような関係性の中で「希望」は生まれ、また日々前向きに形を変えていくのではないだろうか。

 

あなたの身の回りに、信じられる人は存在するか?

「いや、そんな人はいない」と思うあなた。

では、これから信じてみようと思える人はいないか?

 

すべてはあなたの行動と考え方次第。

一度立ち止まって考えてみてほしい。

あくまでポジティブに。

「行動する」ということ

世の中には、同じ「行動する」にも、

①自分から考えて行動を起こす人

②何か言われたり発生した物事に対して行動を起こす人

に分かれる。

ちなみに私は、②の「何か言われたり発生した物事に対して行動を起こす人」の方があてはまっているようだ。

①の”自分から考えて行動を起こす人”は「プロアクティブ」と呼ばれる。

一方、

②の”何か発生した物事に対して行動を起こす人”は「リアクティブ」と呼ばれる。

例えば、仕事や趣味などの仲間同士で「親睦を深めた方が円滑な関係性になる。その場にいることが楽しくなるようにしたい」といった状況があるとする。  

 

プロアクティブな人は、

・「親睦会をしたいなあ」と思う。

・企画を立てる。

・日程を調整し、お店を予約する。

・チラシなどを作成する。

・希望者を募る。

・当日の準備をする。

・幹事役として、皆に配慮する。

 

リアクティブな人は、

・「親睦会をしたいなあ」と思う。

・でも色々考えると、忙しいのに企画を立て、日程調整をしたり予約を取ったり チラシを作成したり「面倒だ」と思う。

・「誰かやってくれないかなあ」と思っていたら、企画している同僚や友達がいる ことを知る。

・「よし、それに乗っかろう」と思い、ようやく重い腰を上げる。

 

さて、あなたはどちらのタイプだろうか?

 

ではここでひとつ聞いてみたい。

手間がかかり、失敗が多いのは果たしてどちらのタイプか?

 

そう 「プロアクティブ」の方である。

 

では・・・・・・

人生がより充実しているのはどちら方なのであろう?

 

さて、どちらなのだろうか?

 

そうである。 これも「プロアクティブ」の方なのである。

 

例えば、

・学校生活がつまらない。

・職場と家の往復で友人や恋人ができない。出会うきっかけがない。

といった人は多いと思う。

その状況で何も行動を起こさなければどうなるか?

 

そうだ そのままだ。

 

何も変わらない。

 

では、

どこかお店の常連になったり、

新たな趣味の場へ通うようにしたり、

自ら友達に声をかけご飯に誘うような、

そんな行動を起こしてみたらどうだろう?

 

確かに お店ではすぐに顔を覚えてもらえないかもしれない。

好きな趣味で教室に通ったのだが、先生や他の人たちと相性が悪く、行くのが嫌になるかもしれない。

自分から何人かにご飯に誘うも、皆に断られ 人が集まらないかもしれない。

もっとこうやった方が会社全体の利益になる と分かっているのに、しがらみや既存のやり方にとらわれ、何もアクションを起こす人が いない。

たとえアイデアを提案しても、すぐに却下されるかもしれない。

誰も賛同してくれないかもしれない。

誰も協力してくれないかもしれない。

このようなことは普通にあるかもしれない。

 

しかしだ 。すっとこのようなことが続くとも考えられない。

店や趣味の場はいくらでも存在するので、変えることもできる。

友人も、たまたま都合が悪かっただけかもしれない。

会社への提案も、試行錯誤して練り直し、何度も提案していくと、いずれ賛同してくれる人が現れ、上司も納得するかもしれない。

こういう経験を積んでいくと、対応力も変わり、選択肢が増え、柔軟に考えられるようになる。

こういう過程を経て、いつしか心地よい楽しい状況になった時、その充実感は何倍にも膨れ上がるのではないだろうか。

ちなみにだが、最近この「プロアクティブ」を描いていると思えるドラマがある。

それは日テレで現在放映中の「ファーストペンギン」だ。

女優の奈緒さんがシングルマザーの立場で、なかなか利益が上がらない、人が安定しない漁港を、いろんなアイデアで立て直すストーリーなのだが、

これが何というか朝ドラの発展版のような感じで、爽快で前向きで、何とも視聴後の心地良さがある(どうやら実在のモデルがいるようだ)。

「ファーストペンギン」とはペンギンの群の中から最初に海に飛び込むペンギンなのだが、敵がいる可能性があるリスクを背負いながらも、自らの考えに沿って、果敢に行動を起こす姿がまさに「プロアクティブ」であると私は感じている。 

現在の私は「リアクティブ」 。

急には自分を変えることはできない。

しかし、少しずつでも「プロアクティブ」近づけることはできるはず。

人生を充実したものにしたい 。

皆もそうであってほしい。

ポジティブシンキングで 。

ドラマ「純愛ディソナンス」

現在、フジテレビの連ドラとして放送中のこのドラマ。既に内容は佳境に入っている。

世間的には賛否がある内容設定になっているのだが、そこの倫理観は個人によって様々である為、言及は控えたい。

このドラマは2部構成になっている。

第1部  新田正樹(中島裕翔さん)の先輩である高校教師(音楽担当)小坂由希乃(筧美和子さん)の後任として赴任してくる。

その小坂由希乃が謎の失踪となった。

正樹が担任するクラスの生徒である和泉冴(吉川愛さん)が小坂由希乃を慕っていたこともあり、

それをきっかけとして、教師(正樹)と生徒(冴)という2人の間に、惹かれあう何かが生まれる。

しかし、ある事情により、正樹は学校を辞めてしまう。

2人の本心はベールに包まれたまま別れてしまったのだが・・・

第2部  2人は5年後のある時に偶然に再会することになる。

正樹は結婚しており、冴も正樹もはっきりしない気持ちのままこの第2部は始まるのだが……

2人を取り巻く奇妙な人間関係に翻弄されつつ、物語は少しずつディソナンス(不協和音)を奏でながら進行していく。

このドラマの主演である中島裕翔さん。「 Hey! Say! JUMP」のメンバーの傍ら、モデルや俳優とマルチな活躍で、「半沢直樹」「水球ヤンキース」「HOPE」などにも出演している。

身長は180センチ近くあり、端正な顔立ちに、爽やかで透明感があり、

また、時に幼い表情を見せるが、どことなく儚げであり、陰のある感じも持ち合わせている。

まだかなり若いが演技力のセンスは抜群。今後の成長が楽しみな俳優である。

少し横道それるが、中島裕翔さんの出演映画で面白かったものとして「ピンクとグレー」を挙げたい。

これはジャニーズ「NEWS」のメンバー加藤シゲアキさんの処女作であり、菅田将暉さんも出演している。

まだ若い2人の初々しい演技も新鮮だが、それ以上にストーリーが斬新であった。

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一方、吉川愛さんも、子役の頃からドラマに出演しており、少しずつ実力をつけてきた女優さんである。

彼女の初々しく真っ直ぐな感じが、またこのドラマの深みを増していると言ってよいだろう。

他にも、「コードブルー ドクターヘリ」で誠実な看護師役であった、比嘉愛未さんが出演しているが、第1部と2部のキャラクターの違いに注目してほしい。

特に2部の比嘉さんには確かな演技力を見せつけられた感じがした。

また「ROOKIES」で熱血教師を演じた佐藤隆太さんも出演しているのだが、先に述べた3名との絡みにも様々な形で関係しており、「ディソナンス」に一役買っている。

それ以外にも、光石研さん、富田靖子さんといったベテラン実力派俳優や、ジャニーズHiHi Jetsの高橋優斗さんといったフレッシュな俳優が脇を固め、より不協和音が複雑化している。

このドラマ、視聴率は低迷しているようだが、個人的には、

ディソナンス(不協和音)と化したそれぞれの思いや関係性がどのように変化していくのか?

正樹と冴の関係性は、果たして純愛と言えるのか? https://www.fujitv.co.jp/lovedisso_fuji/

結末が楽しみである。

ドラマ「石子と羽男」 

これは現在TBSで金曜日に放送中のドラマであり、私が毎週楽しみにしている中のひとつである。

東大卒のパラリーガル「石子」こと石田硝子(有村架純さん)と、

高卒の弁護士「羽男」こと羽根岡佳男(中村倫也さん)が、

バディを組み、決して大事件ではなく、日常の些細なトラブルを、法を介して解決していくといったストーリーだ。

実はこの二人、コンプレックスを抱えた者同士であり、一見かみ合わないように思えるのだが、

それが逆に回を重ねるごとに、うまくバランスがとれていくのである。

石子は、4回も司法試験に落ちているのだが、真面目でコツコツ派、信念のある女性パラリーガル。

一方、羽男は、高卒だが司法試験には一発合格。3万人に1人と言われている「フォトグラフィックメモリー」の持ち主であり、その能力で合格したといっても過言ではない。

ちなみに「フォトグラフィックメモリー」とは、簡単に言えば、目の前の風景や文字などを瞬時に記憶する能力である。

これは、発達障害(学習障害)の部類に入るのではないだろうか。

しかし良いことばかりではない。

嫌なことも鮮明に記憶してしまいしんどくなったり、

イレギュラー対応ができずフリーズしてしまう、

例えば対人コミュニケーションスキルが非常に乏しいといったデメリットが大きい。

これは弁護士としては致命的と言えるのだが、その自覚がありつつ弁護士を続けていく葛藤を表す中村倫也さんの演技にも注目である。

意見が衝突する時もあるのだが、徐々に羽男が自分の弱さを吐露し始め、石子を頼りにしていくシーンに、私はしばしば胸を打たれた。

また、石子はそんな羽男のことを馬鹿にすることなく、むしろ膨大な法律の知識量や、弱いながらも何とか弁護士の仕事を全うしようとするところをリスペクトしつつあるようだ。

現実的に些細なトラブルを、法を介して人間の弱さやそれに向かっていく強さを描いているこのドラマ、一見ありがちなテイストになるところを、

RADWIMPSが唄う「人間ごっご」が最後の方に流れることで、どことなく幻想的で、法律を題材としたドラマとは全く違うテイストに仕上がっている。

最初は何気なく観ていたのだが、これを観ると少しポジティブになれる自分がいた。

果たして、2人は恋愛に発展するのだろうか?

ギフテッド

朝の番組で「ギフテッド」という、あまり聞き慣れない言葉を耳にした。

ギフテッドとは、「一般的な人々と比較して先天的に顕著に高い知性や精神性、共感的理解、洞察力、独創性、優れた記憶力を持つ、IQ130以上の知能を持つ人々のこと」をいう。

神から与えられた言わば「天賦の資質」という表現もある。

加えて、世間での「成功を収める収めない」は定義上関係ないらしい。

同調圧力の文化が主流なここ日本では、そんな自分をあえて目立たせないようにする人たちが多い。

そんな中、逆にその才能を伸ばす取り組み「ギフテッド教育」なるものも存在するようだ。

しかし、これらの話を聞いて、何か感じたことはないだろうか?

そう、ASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠陥・多動性障害)などの、いわゆる「発達障害」の人々のことである。「発達障害」の中にも特異な才能を持つ人が多いからだ。

特に発明家、小説家や脚本家などの文筆業、画家や音楽家、書道家等のアーティスティックな分野ではそうだと言える。

最近は芸能人からのカミングアウトも増えている。

しかし、どうやら「ギフテッド」と「発達障害」は、学術的・医学的にも「似て非なる」解釈のようだ。

他に思い浮かんだのは「HSC(ハイリーセンシティブチャイルド)、HSP(ハイリーセンシティブパーソン)」の存在である。

高い知能と共感的理解、深い洞察力などの豊かな精神性をもつところが、この「ギフテッド」と似ているのではないかと思ったのだ。

ギフテッド、発達障害、HSC、HSP・・・これらの特徴について、円を描けばどこかが重なる。

実際、各々がどのカテゴリーに属するのか、より専門的な検査を受けてみないとハッキリは分からないのだろう。

だが、間違いなく言えることは・・・

その特性特徴を「強み」と捉えること

「できないこと」ではなく「できること」にフォーカシングすること。

ただそれだけでいい。

シンプルな思考で。

ポジティブに。

国家試験を終えて

7/17日曜日、試験を終えた。

午前、午後、共に2時間の実施。

とにかく疲れた。

手応えがなかったので「自己採点はするまい」と思っていたが我慢できず解答速報に手を伸ばし、気がつけば採点する自分がいた。

結果、合格点には届かなかった・・・

敗因を挙げるとすれば、時間配分。この試験は択一式は各1点。事例問題は各3点と、後者でかなり左右される。

前半の択一式で時間をとられ、事例問題に余裕をもって取り組めなかった。自分では事例問題は得意としていただけに、本当に残念である。

模試は1度だけ受けていたのだが甘かった。

今回の試験、今までの4回分の過去問に比べると、何となく出題のニュアンスが変わったと思ったのは私だけか?

しかしこれらは全て言い訳になる。

残念ながら、今回は運もプレッシャーも味方につけることはできなかった。

この半年以上、日課のように勉強していたのだが、いざ試験が終わると、現実に違和感があり、燃え尽きたような何ともいえない数日間を過ごした。

今回の試験で受験資格は終了。

本当にワンチャンだったわけだが、これをモノにできなかったのは紛れもない事実であり、私はこの現実を受け入れなければならない。

しかし・・・何だろう、試験直後に感じていた違和感のようなものは、日々薄れていっている。そして、それは「爽快感」や「充実感」のようなものに移り変わろうとしている。

この半年間やれることはやってきた。合格を信じて目標につき進んできた。結果はダメだったが、やりきった感がある。

もしこの資格が欲しいのに自信や費用がないことであきらめてしまったり、当日コロナや体調不良等で受験できなかったことを考えると、絶対に悔いが残ったと思う。

自分を信じて、やれることをやって、当日も無事に受験できたわけで。

確かTVのCMでも言っていたかな?

「やらない後悔は一生の後悔となる」と。

なので、今回かなりの費用や時間を費やしたが、今の私には悔いがない。

その分、今回学んだことは日常や仕事に生かし、むしろまた色んなやりたいことを今後もチャレンジしていこうという気になった。

これを繰り返していくのが人生。

その積み重ねが自身の成長につながると信じている。

ポジティブシンキングで前を向いていく。

私はまだまだこんなことでは終わらない。

国家試験まで残り1週間!

昨年末くらいから日々の隙間時間を利用して、何とかやってきたわけだが、とうとう試験まで残り1週間となった。

もしかしたら既に未来は決まっているのかもしれないが、最後の悪あがきを実行したいと思う。

この国家試験、5年の特例措置があり、今回がその5年目。私が受験できるのは今回のみ。泣いても笑ってもこの試験が最初で最後のワンチャンス。

運もプレッシャーも全て味方につけるには、最後まであきらめないこと。

ポジティブシンキングで最後までやりきってみせる。