「相棒」の定義

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私は最近、この「相棒」という言葉が気になっている。

相棒というと、何となく「仲の良いパートナー」とも言えるのだろうが、

私としては、もっと強固な関係性と認識している。

  

私が今思いつく相棒の例として、

 ・「ルパン三世」と「次元大介」

 ・「シャーロック・ホームズ」と「ワトソン」

 ・ドラマ【相棒】の「杉下右京」と「亀山薫」

 ・アニメ【シティーハンター】の「冴羽遼←※遼はけものへん」と「槇村香」

 ・島田荘司さんの小説【御手洗潔シリーズ】の「御手洗潔」と「石岡和己」

 ・ドラマ【MIU404】の「志摩一未」と「伊吹藍」

  

こう見ると、探偵ものや刑事ものが多いのが分かる。

やはり危険にさらされるのと、生死に直面する場面が多いのがその理由だろう。

  

そこで私が思う「相棒」の定義は以下のとおりだ。

 ①対等な関係性

 ②得意不得意の相互の凸凹感

 ③絶対的な信頼感

 ④相手に対するリスペクトの念

 ⑤何があっても相手を助けようとする思い

  

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①対等な関係性

 ここでいう「対等」とは、立場の違い、年齢差、性の違いを超えた、あくまで【心理的なもの】である。また、決して「主従関係」ではない。

  

②得意不得意の相互の凸凹感

 やはりこれは、不得手を相互に補う「歯車の論理」」と捉える。

  

③絶対的な信頼感

 「あいつならおそらくこう思うはずだ」「あの人なら必ずこういう行動をとるだろう」という、確信めいた思い。

  

④相手に対するリスペクトの念

 これは②の相互の得意不得意によるものとも言えるが、「自分にできないことを相手ができる」。これを「妬み」や「嫉妬」と捉えてしまうと「相棒」とは言えない。

  

⑤何があっても相手を助けようとする思い

 「一心同体」、「一蓮托生」。これは③の「相手をリスペクトする思い」の上に成り立っている。片方がピンチになった時に必ず助ける。決して「貸し借り」の論理ではなく、これらは「無償」である。

  

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どうだろう?

あなたの身の回りにこのように「相棒」と呼べる存在はいるだろうか?

  

危険にさらされる場面や生死が関わる場面は、そうそうないだろうが、例えば、

「大きなプロジェクトを一緒に乗り越えた」

「お互いに声を掛け合いながら、一緒にフルマラソンを走り切った」

「ある事業やお店を二人三脚で切り盛りしている」

「病魔におかされている側の努力と看病する側の献身力で難病を乗り越えた」

「プロット考案と絵を描く役割のもと、一緒にひとつの作品(漫画や絵本)を完成させた」

  

これらのような場面、関係性ならあり得るかもしれない。

①から⑤までの定義の全てを満たす関係性はあくまで理想。

しかし、どれかひとつだけでも満たすことができれば、もはやそれは「相棒」と呼べるのかもしれない。

  

普段の信頼関係の構築や尊敬の念を抱くのが先か?

はたまた

大きな難局を共に乗り越えたからこそ成立した関係性なのか?

  

いずれにせよ、もしそのような「相棒」と呼べる存在に出会えたとしたら、

あなたの人生は大きく変わるかもしれない。

あきらめた時に幸運が舞い込んでくる理由

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ずっとずっと努力し続けていたが、

「もうこれ以上無里だ」

と思ってあきらめた途端にチャンスや幸運が舞い込んでくる。

このようなことを経験した人はいないだろうか?

これはなぜなのだろう?

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まず考えられることとして、

【ようやく結果が出ようとする、そのタイミングであきらめたから】

毎日毎日、

「早く結果がでないかなあ」

「いつ結果が出るんだ」

と意識し過ぎていたり、ヤキモキしていても、結果というものはそう簡単に出るわけでない。

人は、期待しすぎていたり、待っている時には長く感じてしまうもの。

それに耐えきれず一旦あきらめの境地に立った時、

「結果を求めること」を一旦忘れることになる。

そして忘れた頃に努力が実り、舞い込んできたチャンスや幸運が、際立って認識されるのだ。

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2つ目に考えられることは、

【あきらめた時に、肩の力が抜けたから】

いつも結果を出そうと”必死に”行動したりしていると、逆にうまくいかなかったりする。

相手があることなら尚更だ。相手が逆に引いてしまったりする。

しかし、「もうあきらめようかな…」と思うと、その必死さは丁度良い加減になり、事がスムーズに運んでいく。こんなことがある。

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この2つに共通していることは、

・努力を惜しまずに継続してきたということ。

・「結果を出す」「結果を期待する」など、結果に対しての意識を薄めたということ。

【結果】とは、常日頃から淡々と粛々と努力を継続できた人にだけ与えられる「ボーナス」のようなものである。

あくまで「ボーナス」なわけだから、”絶対にもらえる”という定義ではない。

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冒頭に「あきらめる」と述べたが、

これは「結果を求めること」をあきらめるという意味であり、

決して【努力すること】をあきらめるということではない。

つまり、「結果」への意識を高めるのではなく、

結果へつながる【手段や方法】への意識や精度を高めていくべきなのだ。

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難関大学に合格するには?

結婚するには? 恋人を作るには?

スポーツ大会で優勝するには?

プロのアーティストになるには?

小説や絵画で大賞を獲得するには?

仕事でプレゼンを成功させるには?

大病や難病に打ち克つには?

自分のお店を持つには?

世の中の困っている人をできるだけ多く救うには?

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「結果」とはあなたの努力の上に存在する【ご褒美】。

そして、あなたはそのご褒美の存在を、

 「いかに忘れて」

 「いかに目の前の方法や手段に専念できるか」

もし、いつかそのご褒美をもらえた時が来たら

その時は素直に自分を褒めたたえよう。

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「我妻善逸」に学ぶ自分軸の在り方

人気マンガ「鬼滅の刃」に登場する「我妻善逸」というキャラクターをご存知だろうか?

ご存知でない方の為に、少し説明しておく。

善逸は鬼を滅亡しようとする「鬼殺隊」の一人で、「雷の呼吸」といわれる流派を扱う。

そして、かなり臆病な性質で、気絶した時に本来の能力を発揮するという特異なキャラなのだ。

ある意味、そのギャップが魅力であるのだが、それよりも何よりも特筆する別の魅力がある。

それは「ひとつの技しか使えない」ということ。

鬼殺隊にはそれぞれ特有の流派があり、おおよそ「壱ノ型〜拾ノ型」を使える。

しかし、善逸が使えるのは「壱ノ型」の1種類。

これらの型は、それぞれ「柱」と呼ばれる師匠の元で修行して身につけるのだが、

彼は不器用で臆病である為に、ひとつの技しか習得出来なかったわけである。

善逸は、過酷な修行から何度も逃げ出そうとする度に、柱に連れ戻される。

「自分には能力がない」

「自分にはできない」

と、自己を肯定できない善逸に対して、柱はこのように言う。

「不器用なら、ひとつの技を磨いて磨いて磨ききって、極めれば良いのだ」と。

おそらくこの時、善逸は、初めて自分を肯定出来たに違いない。

そして、その柱の言うように、善逸は自己研鑽を怠らず、後に結果を残すようになる。

さて、皆はこの善逸に対してどのような感情を抱いただろうか?

「”壱ノ型”しか使えないなんで情けない、カッコ悪い」と思った方も当然いるだろう。

しかし私は、この善逸には非常にシンパシーを感じている。

なぜなら、かくゆう私も「不器用な人間のひとり」だからだ。

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・料理は苦手だが、唯一「卵焼き」だけは上手に作れる。

・バスケットボールは苦手だが、リバウンドだけは上手い。

・野球でバッティングや守備は下手だが、足だけは速い。

・顔やスタイルに自信はないが、ファッションだけは褒められる。

・大勢の前やグループで話すのは苦手だが、1対1なら上手に話せる。

・ピアノは苦手で楽譜も読めないが、でもこの曲だけは弾ける。

・国語は苦手だが、漢字だけは得意。

もちろん、まんべんなくできる能力や器用さがあれば、それに越したことはない。

ただ一体そんな人がどれだけ存在するのだろう?

誰もが二刀流を扱う”大谷翔平さん”のように器用なわけではない。

わざわざそのような人と比較して、

「自分はあの人みたいにはできない」と卑下する必要もない。

どんな分野でも、何かひとつだけでも

「これは楽しい」

「これなら上手にできる」

そのようなことがあれば、生きていく上での武器になり、

気がつけば、自信になり、ゆるぎない自己肯定、自分軸へと変化していく。

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ここでひとつだけ注意しておきたいのは、

”受け身では見つからない”、”何もしなければ見つからない”、ということ。

「自分には何の取り柄もない」

「楽しいこと、できることなんでひとつもない」

実はこれ自分にバイアスがかかっている(認知が歪んでいる)状態であって、

実際はそうではない。

自分の人生をゆっくりと、じっくりと振り返ってみてほしい。

のめりこむまでとはいかなくても、ほんの少し

「楽しかったなあ」

「何となくうまくできた気がするなあ」

と思ったことはきっとあるはず。

ヒントは今までの自分の中にある。

それが見つかれば上出来。

後はまたそれをやってみて、少しずつ発展させていけば良いのだ。

是非とも、ひとつのことを極めようとする自分、

極めた自分をイメージしてみてほしい。

自己を肯定するのに

自信を持つのに

人や世間の役に立つのに

自分軸で生きていくのに、

「器用さ」は決してマストではない。

「バタフライ効果」と日常

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「バタフライ効果」という言葉を聞いたことはあるだろうか?

これは、気象学者のエドワード・ローレンツ氏が1972年に行った講演、『ブラジルでの蝶の羽ばたきはテキサスでトルネードを引き起こす』から由来している。

この趣旨としてはこうだ。

「蝶の羽ばたきは、将来的にそこから離れた場所でトルネードを引き起こす要因になるかもしれない。

だが、どれだけ計測精度を上げたところで、天候というものは様々な要素が複雑に絡まっている為、予測は不可能である」

ということ。

同時に

「非常に小さな力(現象)が、最終的には予想もしていなかったような大きな力(現象)につながる」

ということも証明している。

日本で言う、「風が吹けば桶屋が儲かる」の意味とも似ている。

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これらのことは我々が淡々と過ごしている日常にもあてはまる。

例えば、長年つきあった彼氏彼女、夫婦、同僚や上司部下の関係性において。

お互いに気になることがあるのに、「些細なことだから」と放置していたことが蓄積し、

やがて互いの関係性が、修復不可能なレベルまで破綻する一大事になることがある。

逆に、深い関係性ではなかったり忌み嫌い合っていた関係性であったとしても、

日々の小さな声かけや相手のことを思いやる行動を少しずつ積み重ねていけば、

最終的に「強固な」信頼関係にまで発展することもあるだろう。

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例えば、日々の小さな取り組みについて。

「政治家になって、世の中の仕組みを変えたい」

「女優になって、映画やドラマに出たい」

「オリンピックで金メダルをとりたい」

「科学者になり、そもそもの世の中の概念を変えたい」

「ダンスの大会で世界一になりたい」

しかし、今の自分がいくら頑張ったところで、そんな将来は”到底”見えてこない。

そうだろうな。

ここに挙げた内容は一部の人間しかなし得ないことだから。

しかし「今後が」「将来が」どうなるかなんて”誰にも予測”できない。

この【バタフライ効果】によれば、

どうやら日々の”小さな小さな積み重ね(現象)”が、良くも悪くも将来に大きく影響することになるらしい。

日々の小さなこと、些細なことを味方につけよう。

それらは全て、己の日々の意識と行動次第。

小さな旋風から、トルネードを巻き起こそう。

以上

「ゴッドマン率」〜ネガティブな内容を上手に伝える方法〜とは?

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普段の生活において、

注意、指摘、警告など、

「どうしても言っておいた方が良いこと」
「言っておかなければならないこと」

これらを伝えるのに躊躇した経験はないだろうか?

・親子関係

・上司部下の関係

・夫婦関係

・友人関係

今が良い関係性であればあるほど、言いにくかったりするはずだ。

しかし、どうしても相手に伝えなければならない場面があるのは否めない。

では、言いにくいネガティブな内容をどのように伝えれば良いのだろうか?

答えは、

【ネガティブ内容を伝える以上に、ポジティブな内容も伝える】である。

このポジティブな内容とネガティブな内容の比率を【ゴッドマン率】といい、

これを提唱したのが、「ジョン・ゴッドマン博士」である。

ゴッドマン博士は、ワシントン大学(心理学)の名誉教授であり、特に夫婦関係の研究で知られるのだが、

上記に挙げた、それぞれの関係性における比率をこう論じている。

・親子間
  =ポジティブ③:ネガティブ①

・上司部下間
  =ポジティブ④:ネガティブ①

・夫婦間(カップルも含む)
  =ポジティブ⑤:ネガティブ①

・友人間
  =ポジティブ⑧:ネガティブ①

お気付きだろうか?

そう、自由度が”高い”関係性になればなるほど、ネガティブな言葉を伝えるには、ポジティブな言葉を”多目”に伝えなければならない。

なぜなら、自由度が”高い”関係性(夫婦、友人)というのは、「その気になれば容易に断つことができてしまう関係性」だからだ。

一方、自由度が”低い”関係性(親子、上司部下)というのは、自分の意思で断つ、あるいは覆すことができない深い関係性の為、少々ネガティブな割合が増えても簡単に崩れることはない。

どうだろう?

普段のあなたに、この比率はあてはまっているだろうか?

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人は誰しも否定的なこと言われると嫌な気持ちになる。

そして、その人の話に聞く耳を持たなくなる。

相手をいち人間として対等に思ったり、大切だと思うのなら、

是非ともその人の「良い部分」や「強み(ストレングス)」に目を向けてほしい。

但し、これだけは言っておきたい。

自分がしんどい状態(自己を否定してまっている状態)だと、相手のポジティブさを映し出すはずのメガネがくもってしまう。

しんどい時は休もう。

しんどい時はリフレッシュしよう。

しんどい時は自分を許そう。

そして、正常なメガネで相手を見て、
相手を肯定したり、ポジティブな面をどんどん伝えていこう。

そうしていくと、少々ネガティブな面を伝えたところで、

簡単に相互の関係は崩れない。

「ホットポテト理論」(加筆修正版)

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皆さんは「ホットポテト理論」という言葉を聞いたことがあるだろうか?

これは心理学の交流分析理論のファニタ・イングリッシュ博士が提唱している理論である。

この理論は、例えば集団で行うゲーム内で、「普段個人だと運が悪くないのに、集団となると途端に運が悪くなる」ことを言う。

ちなみにこの理論の名称についている「ホットポテト」というのは、元々アメリカの爆弾ゲームで、人が円になって熱々のポテトを回し、音楽が止まった時点でそのポテトを持っていた人が罰ゲームをする遊びである。日本では、トランプのババ抜き、ハンカチ落としがそれにあたるだろう。集団で行うジャンケンなどもそうなのかもしれない。

これらに共通しているのは、集団の中で「敗者」を生み出すこと。そして皆は当然「敗者」にはなりたくない意識が働く。

そこでで思い出していただきたい。トランプやハンカチ落とし等の遊びをすると、いつも同じ人が敗者になっていた記憶はないだろうか?

この理屈をファニタ・イングリッシュ博士は、「実は敗者は最初から決まっている」と説明している。

そしてこの敗者は必ず「傷つきやすく、支配されやすく、いじめやすそうな人」になっているというのである。

なぜなら、「傷つきやすく、支配されやすく、いじめやすそうな人」というのは、「自らが自己犠牲を行うシナリオを書いている人だから」だそうだ。

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「自分には運がないからしょうがない」

「自分が負ければ場が盛り上がる」

「他の人が負けるのは気の毒だ」

「負けるのは嫌だけど、まあいいや」

先程も述べたとおり、誰もが敗者にはなりたくはない。これは当然と言える。よって各々が自分以外の誰かをターゲットにしていくわけだが、これが集団心理。

暗黙に「傷つきやすい、支配しやすい、いじめられやすい」誰かに攻撃が集中するわけである。

一見「フェア」のようであるが、実は「フェア」ではない。

そしてターゲットにされた人は、さっきのように自分を犠牲にし、その場をやり過ごすといった、言わば負のループの常態に陥ってしまう。

この「自己犠牲」はとても厄介で、一度この考えに染まってしまうとなかなか脱出することができない。もっと言うと、いくらこの「自己犠牲」を続けていこうとしても、やがてメンタルに限界が来て、身も心も崩壊する。

少し横道にそれてしまったが「ホットポテト理論」とは、いくら自分が罰ゲームを受けたくなかったとしても、周りからの暗黙の同調圧力や自身の自己犠牲的な思考(ネガティブ思考)、自己肯定感が低さから、自ら「敗者」を引き受けてしまっている。

つまり、【その自身の作ったシナリオ通りに事が運んでいる】というわけだ。

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長い人生において、親子関係、兄弟関係、友人関係、師弟関係の間で「自己犠牲」が必要とされる場面はあるかもしれない。しかし決してそれを常態化させてはならない。

幸せなどはそこに存在しない。

そうした常態から脱却して充実した人生を送るには、「自己犠牲」の思考を捨てなければならない。

人間とは、元来群を成して、協力しながら生活していくもの。しかしその群れが自身にとって不利益になる群、居心地が悪い群なのであれば、もはやそこにいる必要はない。

また、自分の意思や考えを、ふだんから相手や周りの皆に発信しておくことも重要。

ここで言っておくが、悪いのはあくまでターゲットにしようとする側である。しかしターゲットにされる側についても努力やちょっとした勇気で変えていける可能性があるのも事実。

急にお金持ちになるのは無理。

急にやせるのは無理。

急に仲良くなるのは無理。

これらと同じように、当然「急に思考を変えていく」のも無理。

一朝一夕ではありえない。そんな簡単なものではない。

大切なのは、今の自分に気づき、今の自分を受け入れ、

毎日少しずつでも考え方を変えようと意識し、それを実行していくこと。

そして、毎日鏡に向かってこう話しかけよう。

「今日の自分もよくやった」と。

以上

挑戦し続けることが、そもそも「成功」である理由

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『今』というこの時間に集中して有意義に過ごすこと。

これはマインドフルネス的な時間といえ、私的にも推奨したい考えである。

一方で、

「ああやってしまった、失敗した…」

「こんなはずじゃなかったのに…」

「もうどうにもならない、終わった…」

などと、何らかの失敗体験によって、

あたかも人生の終焉のように『今』を嘆いている人はいないだろうか?

しかしだ。

皆もご存知のとおり、人生とは、今という時の「失敗」と「成功」を繰り返していくもの。

あくまで ”その時点での” 「失敗」や「成功」でなのである。

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人は終わりの見えない人生を送っていく。

その続いていた人生がいつか終る直前に、

「あぁ、頑張ってこれたなあ」

「何となく充実していた人生だったなあ」

と、こう思えたらどうだろう。これはすなわち『成功』と言えるのではないだろうか?

世の中のどんな生き物に共通すること。

それは「時間は有限であり、人間関係も、命も有限」ということだ。

つまり、常にチャレンジし続ければ、その足跡を残し続ければ、いつ終わりを迎えたとしても、それは充実していたこと『成功』になり得るのだ。

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目の前の一時的な失敗にこだわりすぎてはいけない。

そして「もうダメだ」とあきらめてはいけない。

日常生活で何らかの制限があっても、何歳になっても、

「考える頭」と「動ける体」があれば、何とでもなる。

大事なのは、常に前を向いて挑戦し続けること。

その足跡が身になり、糧になり、充実した人生を形成していく。

『終わりよければすべて良し』

あくまでポジティブに。

やり残したことはないか?

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「人生において後悔はつきもの」

こう言い切りたくはないのだが、やはり後悔していることは多いのではないだろうか?

「あの時、社内の会議で自分の意思や意見をはっきり発言すれば良かった」

「あの時、あのタイミングで ”好きです” と伝えておけば良かった」

「喧嘩をした後、すぐに素直にあやまっておけば良かった」

「目先の収入ではなく、やりたい仕事をやれば良かった」

「あの時、あの人の助言を素直にきいておけば良かった」

「ずっと行きたかった場所に行っておけば良かった」

「ずっと会いたいと思っていた人に会いに行っていれば良かった」

「あの時、”これ欲しいなあ” と思ったものを購入しておけば良かった」

「あの時、発覚していた身体の異常を放置せず、すぐに治療すれば良かった」

「もっと勉強して、自分の人生の選択肢を増やしておけば良かった」

人は、年齢を重ねれば重ねる程、逃した機会が蓄積され、それはやがて大きな「後悔」となる。

私もその1人であることは否定できない。

そこで、この言葉。

【”死”は一人称では語れない】

これはどういうことか? 

それは、自分は死んだわけだから、”私は死にました” とは当然言えないし思えないということである。

つまり、死を認識できるのは、死んだ人ではなく、それ以外の人間というわけだ。

皆、毎日当たり前のように夜寝て朝に起きる。そして無意識に目覚めることを前提として、翌日以降のスケジュールを立てる。

しかし「必ず目覚める」という保証がどこにあるのだろうか? そう、どこにもない。

ある日突然、永久に目覚めない状態がやってくる。それは、「死んでいる」か、限りなくそれに近い状態である。

人生はやりたいことをやり、楽しみ、成果や実績などを地道に積み上げて充実させていくもの。

しかし、それもある日突然、自分の意思に反して、志し半ばに「”終わり”との認識を自覚することもなく」終焉を迎える可能性があるのだ。

そう考えると、今現在、

我慢して嫌な仕事をしている人

劣悪な環境に身を置いている人

嫌な人間関係の中で鬱屈した毎日を送っている人

これらの話を聞くと、どうだろう、”確かにそんなことをしている場合ではない” と思いはしないだろうか?

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「好機」を逃してはいないか?

「無理だ。今はできない」と自分に言い聞かせてはいないか?

他にも方法があるはずなのに、それを考えることを放棄したり、考えることができないほど疲弊してはいないだろうか?

人生は後戻りはできない。そして、「若さ」もやがて「老い」に変わっていく。

「今やりたいこと」

「今やった方が良いと思っているのにやれていないこと」

たとえ失敗しようが、自分が抱く「納得」が、それを打ち消していく。

何もしない「後悔」よりも、何かをやってみた「納得」が大事。

これから行動すること、それはあなた次第。

あくまでポジティブに。

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自分は社会に貢献しているのか?

世の中には、家族、職場、ボランティア団体、習い事のサークル、地域の伝統行事の集まり、といった様々なコミュニティが存在する。

しかし、そのどこにも属さず、自分は社会の一員と思えない、なぜか寂しい思いや孤独を感じたり、世に貢献できない無力な自分に苛まれているという人がいるのではないだろうか。

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私は最近「社会彫刻(Social Sculpture)という言葉を耳にした。

これはドイツの芸術家ヨーゼフ・ボイスが提唱した理論で、

「誰もが自らの創造力によって芸術家となりうる」という意味である。

文字の中で「芸術家」という言葉が使われているが、これは決して絵画や建築といったアーティスティックな内容のものだけはなく、教育、政治、科学、哲学、経済学といった社会には必要不可欠な内容も含まれる。

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では今の自分で考えてみてほしい。

 ◆まだ学生でアルバイトもしたことないし…

 ◆ただのサラーリーマンだし…

 ◆ただの主婦、主夫だし…

 ◆学校へも行かず、仕事へもせず、ただの引きこもりだし…

 ◆すでにリタイアして、余生をすごしているだけだし…

 ◆何の目的もなく、ただ漫然と生活している何の取り柄もない人間だし…

 ◆持病を抱えていて、周りに迷惑をかけているだけだし…

「そんな自分のやっていることなんて、社会に不可欠とは到底思えない」

「ただ淡々と日々を暮らしているだけ」

そんな風に思ってはいないだろうか?

実は私はこのように思っていた。

「社会彫刻」という言葉を知るまでは。

ボイスはこう述べている。

「ジャガイモの皮を剥く行為でさえ、意識的に行われたのであれば、芸術的な行為になる」と。

つまり「社会を彫刻する」とは、「人生のあらゆる局面には創造的なアプローチができ、それによって誰もが社会全体の幸福に寄与できる」

そういった考え方なのだ。                  

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社会的地位がなくとも、

高所得でなくとも、

特殊な技術がなくとも、

誰もが振り返るような容姿がなくとも、

裕福な家庭でなくとも、

健康でなくとも、

それぞれどんな立ち場、環境においても、

自ら「そうしよう」と意識的に働きかけることで、その行為がたとえ豆粒のようなものでも、

社会構造の中の一部に含まれ、それがあることで、他の部分が構築されていく。

そして、それらが社会になくてはならない重要なものに変化していくのである。

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人は罪を犯せば逮捕され、罰を受ける。

この社会に存在しているから、社会のルールの対象となるのは当然である。

しかし、これは裏を返せば、自分は「社会の一員」だということに他ならない。

小さな悪行も罰せられたり、たとえ罪に問われなくとも、周りからは批判を浴びる。

であれば、その逆を自らやっていけば、この社会に属する一人として、社会に影響を与える、幸福に寄与できることは、これまた当然といえる。

どんな些細な行動にも、意識的にプライドを持ってみよう。

つまりそれが結果的に社会に貢献するということになり、胸を張って上を向いて生きていける。

あくまでポジティブに。

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苦しい現状を変えていくには

今回は少々長い内容になったのだが、

個人的には自分が生きていく上でとても重要視している用語(フレームワーク)なので、最後まで読んでいただけると幸いである。

みなさんは「リフレーミング」という言葉を聞いたことはあるだろうか?

これは「物事の捉え方を変え、別の枠組みで捉え直す」という意味であり、

代表的な例に、【半分だけ水の入ったコップ】がある。

「もう半分しか水がない」

というネガティブな思考を、

「いや、まだ半分水がある」

ポジティブな思考へ変換できるといった、”あれ”である。

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このリフレーミングには、「状況リフレーミング」と「内容リフレーミング」と2つの種類が存在する。

◆【状況リフレーミング】                              ここで言う「状況」とは、自分を取り巻く人物や物事、出来事を指す。

・スポーツ選手が現在のチームで目立った活躍がなくモチベーションが下がっている際に、他チームへ移籍することで息を吹き返すといった例を聞いたことはないだろうか?

・また、今の職場でパッとしなかった人が、転職して新たな分野(職場)に身を置くことで多大なる功績をおさめることになったという例もある。

苦手な上司や同僚(チームメイト)がいる、自分の能力を認められない、スルーされる、逆につぶされる、評価されない、出場の出番がない、全く話が合わない、そもそも仕事の内容が自分に合わない、働く場所が遠い、ハード面や福利厚生が壊滅的などの状況が、チームや職場を変えることで、一変して自分にあった場所にたどり着き、能力を発揮できる可能性があるのだ。

◆【内容リフレーミング】                              そしてこの「内容」とは自身の性格や悩み経験などを指す。ネガティブな性格はポジティブに置き換えることが可能である。

・「決断力が乏しい」                                 →あらゆるリスクを想定し、慎重に物事を進められる。

・「人見知りする」                                  →相手との距離感を考え、ゆっくりじっくり接することができる。

・「飽き性」                                     →好奇心が旺盛で、次々に新たなチャレンジができる。

・恋愛や夫婦感において、「自分は愛されていないと思う」                 →自分は相手をどれほど愛しているのか?                       独りよがりになってはいないか?                           そもそも今の二人において、幸せのカタチとは何なのか?                  実はもうすでに幸せな部分はいくつもあるのではないだろうか?

・仕事で大きなミスをした。もうやっていく自信がない。                  →自分ではミスと捉えているが、他から見ても果たして同じ評価なのだろうか?        これはミスではなく、もっと大きな成功に向かっての過程であり、必要なことではなかったのだろうか?

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では、これらのことをリフレーミング(枠組みを変換)するにはどのような方法があるのか?

① IF(もし◯◯だったら?)のリフレーミング                    →悩みや考えに行き詰まった時に、「もし◯◯を」と相手の立場や、ある時期を想定することで思考の範囲を広げ、多面的に捉えていく。

②言葉のリフレーミング                               →先程述べたネガティブな性格などをポジティブに変換することをやってみる。      「神経質」⇨「細かいことによく気がつく」などの枠の変換。

③時間軸のリフレーミング                              →何か問題が起きた際に、「今ここいる自分」を別の時間軸に置き換えて自分を見つめなおす。そうすることで、何か次につながるヒントを得ることができる。            例えば、

「今この作業は、将来の自分が見ればどう思うか? やって良かったと思えるか?」

「過去の失敗に対し、その時の自分はどのように捉えていて、今の自分なら、未来の自分なら果たしてどう感じて、どうしていくだろうか?」

④解体のリフレーミング                               →自身の欠点や短所について悩んでいる場合、その悩んでいる内容を、

「なぜ思う?」「どんな時に思う?」

「どこで思う?」「何で思う?」

「どのように思う?」

と一旦その悩みを解体し、具体的に課題として自覚する。そうすると改善策を見出しやすくなったり、そもそも

「そこまで悩むことでもなかったな」

「何か単なる勘違いだったわ」

となる場合もあるだろう。

⑤Want(◯◯をしたい)のリフレーミング                      →何かミスをした時に、それを悔やんだり思い悩むのではなく、

「じゃあ自分はどうしたいのだろう」

「次はどうすれば同じミスをしないようにできるのだろう」

と、気持ちを整理し、すかさず未来へと思考を向けるのである。

そのひとつエピソードとして、「坂本龍馬」は、生涯ミスをしても思い悩まなかったそうだ。なぜなら、失敗した瞬間に「次はどうすれば良いか?」とすぐさま思考を変換させる癖があった為である。

今の自分に納得がいっていない

何をするにも自信がない

何をやってもうまくいかない

ネガティブなことばかりが頭に浮かんでくる

今の環境から脱却し、新たな環境でチャレンジしたい

自分を奮い立たし、モチベーションを上げていきたい 

これらのように思っているあなた。

リフレーミングを行うことで、今の生活や人生を変えていくことが可能なのだ。

もちろん、環境を変えればそれなりのリスクも考えられる。

しかし、何もしなければ今のままだ。

そう何も変わってはいかない。

「わずかな勇気」があれば、行動はそこからだ。

今回このブログを読んで、もしあなたにそのわずかな勇気が生まれたのなら、

まずは小さい小さい何かから始めることはできるはず。

今しかない。今がその時。

ひとたびスタートできれば、徐々に軌道に乗っていく。

「思考の変換」から「小さなアクション」へ。

あくまでポジティブに。

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