お金持ちの考え方

突然だが、皆さんは今の収入に満足しているだろうか?

正直私は満足していない。日本の所得格差は広がる一方で、「なんて理不尽な世の中なんだ」と嘆く人も少なくないだろう。

特に今はコロナの影響で、飲食店や旅行会社等が大打撃を受けている状況である。満足しているいないというより、むしろ「何とか食べていくだけでやっと」という人が大多数なのかもしれない。

しかし、こんな世の中でもいわゆる「お金持ち」という人が一定数存在するわけで…。

ちなみにだが、厚生労働省の国民生活基礎調査では、年収が1000万円以上の世帯数は「国民の約12%」と発表している。つまり約12世帯に1世帯の割合となるが、これを多いと感じるか少ないと感じるかは個人差もあるだろう。

しかし一般的には、やはり羨ましかったり、妬ましかったり、様々な感情が湧いてくるのではないか?

では、一体お金持ちはどうやってお金持ちになったのか?

私は以前、ニュース番組で以下のような調査結果を聞いたことがある。

①年収1000万円未満の人に、「年収1000万円の人はなぜ年収1000万円以上稼ぐことができたのか?」と理由を尋ねると「運が良かったからではないか?」の意見が大多数。

②一方、年収1000万円以上の人に、「なぜ年収1000万円も稼ぐことができたのか?」と尋ねると、「運を引き寄せたから」「その運をつかんだから」の意見が大多数。

この①②の違いはどういうことか?私の考えはこうだ。

①は受動的、②は能動的。

じっと待っていてもビジネスチャンスは生まれない。しかし、自らトライアンドエラーを繰り返し、それを積極的に発信している人、つまり成功しお金持ちになろうと努力している人には、必ず「協力者が現れる」ということだ。

また、日常の些細なことに対しても、違った角度から見れるようになり、それをビジネスチャンスと捉えるようになる。ニトリやカインズホームなどのアイデア商品は、まさにその視点から生まれたアイデア商品と言えよう。

加えて、一般家庭等の空きの駐車場を上手く利用した会社「Akippa」、印刷工場の工程の空き時間を上手くつなぎ合わせた会社「ラクスル」は、本当にニッチなところに目をつけたと感心せざるを得ない。

お金持ちになるには、一朝一夕とはいかない。だが思考を変えることで、その可能性は高まっていく。

世の中が混沌としている今を悲観的に捉えるのではなく、ぜひともポジティブに物事を捉えていただきたい。

ハゲの概念

世の中、男女問わず髪の毛が薄い人多い人さまざまである。

先日、電車に立っていた中年男性の頭髪を見て色々考えさせられた。

では、いわゆる”ハゲ”とはどのような状態を言うのだろうか?

丸坊主は「スキンヘッド」、毛量が少ないのは「薄毛」。諸説あるが、私がある美容師に聞いた内容では「地毛で頭皮を覆い隠せる状態はハゲとは言わない」だ。

その逆、つまり「地毛で頭皮を覆い隠せなくなった状態」がいわゆる”ハゲ”であると。

ハゲの要因としては、遺伝的なもの、ストレス過多、病気などがあげられるが、仮に残りの毛髪ではどうにもならなくても、医学的な治療、植毛、ウイッグ装着と、改善策や見せ方の工夫も多く存在する。

結局私は何が言いたかったのか?

それは2つある。

1つ目は、”安易に相手にハゲと誹謗中傷すべきではない”ということ。

2つ目は、”ハゲてるのかも?と思っても決してネガティブになる必要はない”ということだ。

今のところ私は大丈夫だか、万人にその可能性はあるわけで。

深刻に悩んでいる人へ。このブログを読むことで、少しでもポジティブになっていただきたい。

アイメッセージ

まだまだコロナ問題は継続であり、ストレスフルな生活を送っている人は少なくないだろう。

いつもならスルーできるはずの些細なことに対しても、余計なことと分かりつつ相手にあたってしまうこともしばしば。

「遅れるなら連絡くらいできたでしょう!」

「10分遅れただけじゃないか!これでも急いで仕事を終わらせてきたんだ!」

こうなったら売り言葉に買い言葉、悪化する一方だ。

しかし、こう言えばどうなっていたか?

「いつもあなたは待ちあわせに遅れたことなかったから、私、かなり心配しちゃった。次から遅れる時は連絡ちょうだいね。その方が安心できるから」

どうだろうか?これなら言われた方も申し訳ないという気持ちが芽生え、改善の方向にいくのではないか?

「あなたが、悪い」これはユー(YOU)メッセージであり、

「私がしんどい、不安」これがアイ(I)メッセージである。

ちょっとしたやりとりでも思考をポジティブにしていただきたい。

 

空間補完効果

ワクチン接種が始まり出したが、世間ではまだまだコロナ問題は終息していない。

それに伴い、ある現象が発生している。

それは「美男美女が急激に増えた」ことだ。

厳密に言えば「美男美女に見える人が増えた」ということなのだが。

果たして皆さんにはその認識がどこまであるだろう?

ちなみに人間には見えない部分を都合よく想像してしまうところがあり、それを「空間補完効果」という。

確かに、顔のパーツは他にも鼻や口元や輪郭があるわけで、目元だけでは情報量が少なすぎる。

また、顔の印象とは、いかにトータルバランスであるかを証明しているとも言える。

近い将来、またマスクにそれほど頼らない生活が待っているはず。

入学後や入社後、かなり期間が経過しているにも関わらず、まだはっきり顔を見ていない方々、マスクをとった時は改めて挨拶をしよう。

余談であるが、見た目に惑わされず、是非中身も重視していただきたい。

認知的不協和

「認知的不協和」とは、個人の持つある認知と他の認知の間に矛盾や不調和が生じ、それを解消させる為に認知や行動を変化させる理論である。

これはアメリカの心理学者、レオン・フェスティンガーによって提唱された。

この有名な例としては、

「タバコが有害なものとの認識があるにも関わらず、やめられない」という認知の矛盾である。

これが一致すると「有害だから禁煙する」になるはず。しかしニコチンの作用でそうそう簡単にはやめられないので、喫煙者は「やめる(禁煙する)」変化よりも、「有害なものではないはず」との情報を集めだす。そっちのほうが楽だからだ。

これはつまり、「タバコは有害ではないから喫煙していても大丈夫」との一致を導き出したいが為に、「それを証明する情報を収集する」という行動に至った結果である。

次に良い例を述べたい。

例えば「しんどいと思うときや憂鬱な時に笑顔を作る」ことだ。

朝学校や会社に行く、これらが憂鬱な時、鏡では冴えない顔の自分を見る。この時点では矛盾は生じていない。

一方、朝気持ちはしんどいのに、鏡の自分を笑顔にする。これは「矛盾」に該当する。

こうなると脳が違和感をいだき、しんどかった気持ちが、笑顔の自分に引っ張られ、いつの間にか気持ちも楽になっていく。

他にも「根拠なき自信」の重要性を説く著名人も多い。

これは自信がないから「何事もうまくいかない」というネガティブな現実と、根拠もないのに「何だかうまく行く気がする」というポジティブシンキングの矛盾の状態をあえて作り出すことによって、自然と努力する方に向かい、成功する可能性が高まるという例である。

これらをうまく利用すれば、人生はより良いものになっていく。

ぜひ試していただきたい。

余裕が無くなった時は…

コロナの影響はまだまだ続いている今、うつ病を患っている人もかなり増えていると聞く。

学校、仕事、家事、育児、介護……。日常に追われ、考えないといけない、決断しないといけない、そんなことばかりで疲弊してしまっている人は数多いだろう。

そこでだか、少しでも心に余裕を持たせるための方法をひとつ紹介しよう。

それは「些細なことを済ませていく」ことである。

やらなければならないことの中には、決断や実行に時間がかかるものもあれば、簡単に済ませることもあるはず。

例えば、

 ・公共料金を支払う

 ・長くなっていた爪を切る

 ・録りダメしていたドラマを観る

 ・残り5ページの本を読み切る

 ・シャンプーとリンスの中身を補充する

 ・賞味期限が過ぎた食材を処分する

              などなど。

気になっていることの中で、実行すればすぐに済ませることに着手する。

そうすれば、頭も心もスッキリし、本当に時間をかけるべきことに対して、ポジティブシンキングになり、良いアイデアが生まれる。

ぜひ試していただきたい。

時間

人間は誰しも幸せになる権利がある。その為にこの世に生まれてきたはず。

しかしスタート時点から恵まれている者、そうでない者に別れている。家庭環境の差や貧富の差がそれにあたる。つまり人間は生まれながらに不平等であり、その現実に翻弄されているというわけだ。

では、全てにおいて不平等なのか?

私はそうでないと思っている。

唯一平等なものがある。それが「時間」だ。

1日24時間、それが365日。

この時間の「使い方」こそがミソになる。

この世に生まれてから、すでにカウントダウンは始まっているわけで‥…。

そう考えると1分1秒たりとも無駄にはできない。

ポジティブに考えよう。

短編小説「カラスの行水」

俺の名前はクロ。しがないただのカラスだ。

 

今日も早朝からエサを探し求めて放浪中。特に収穫がない時は、決まって三丁目のゴミ置き場に飛んでいく。

しかし人間どもはバカだ。俺たちのことを「散々ゴミを荒らしやがって。それにしてもあの色は気味が悪い」などと言っているわりには、毎日たくさんのゴミを置いていく。本当にどうにかしたいと思っているのだろうか? にわかに信じがたい。

奴らは、俺たちが人間でいう三歳児並の知能を持っていると噂をしているようだ。だから奴らはバカと言われる。カラスだってピンキリさ。バカなカラスもいれば、すこぶる頭の切れるカラスだっている。俺はその後者の方だ。そんなことも分かっていないなんて。本当にあきれて物が言えない。まあ、何を言おうが奴らの耳には「カァー」としか聞こえていないようだが。

それにもうひとつ気に入らないことがある。なぜ「黒」がいけない? 俺たちも好きでこの色になったわけじゃない。いや、むしろ俺たちは「黒」に誇りをもっている。

ある日、仲間のシロが神妙な面持ちでやってきた。

「なあ、クロ。僕いろいろ考えたんだ。このままでいいのかって……」

「何がだよ」

「黒は卒業しようと思って」

「は? お前何言ってんだ! 」

「だってさ。僕たちが人間たちにどう噂されてるかって知ってるかい? 」

「あぁ、もちろんさ」

「だったら分かるだろ? もういやなんだ。僕だって人間たちにチヤホヤされたい。気味が悪いなんてもう言われたくない! 」

「一体、お前は何をしようてっんだ? 」

 

「この間、人間がペンキ塗りをしていたんだ。ペンキってさ、いろんな色があるんだよ。僕、ペンキの缶に飛び込もうと思ってさ」

「で? お前は何色になりたいんだ? 」

「青だよ。青色になって大空をはばたくんだ。それにゴミ置き場でも、きっと気味悪いなんて思われないよ! 」

ひどく興奮している。こんなシロは今まで見たことはなかった。

「あのさ。良かったらクロもどうかなと思って…… 」

「バカヤロー! 俺はこの黒にプライドを持ってんだ。それに奴らにチヤホヤされるなんて、まっぴらごめんだね」

「そっかぁ。じゃあ無理に勧めないよ。そのかわり、僕がペンキの缶に飛び込むのを、見守っててね」

次の日、奴らがペンキ塗りをしている近くの電線に俺とシロはとまっていた。

「お前。本当に大丈夫か?」

俺は心配そうにシロの表情を窺った。

「大丈夫だよ。もう何度もシミュレーションしてるからね。クロ、僕が青色になっても友達は友達だからね」

「ああ」

シロが青色になったって、中身は変わらない。俺たちはいつでも親友だ。

「じゃあ行くよ」


シロはペンキの青の缶めがけて飛び立った。その時、

「親方―! 後ろ!」

子分が叫んだ。しかし、シロは気付いていない。

「シロ! 」

俺は親方の体めがけて突っ込んだ。

「このヤロー! 何しやがんだい! 」
親方は大きな手で、俺をはたき落とした。

しかし、幸運にも俺は地面に叩きつけられず、そばにあったペンキの缶にずっぽりはまってしまった。すぐに飛び立とうとしたが、ペンキの重みでなかなか動けない。

やっとの思いで缶から抜け出し、また近くの電線にとまることができた。
俺の活躍でかろうじて助かったシロは向かいの電線にとまっていた。

「クロ。その姿……」

 

「ママ―! あそこにとまっているのは何だろね 」
五歳くらいの女の子が指さしながら、そばにいた母親に尋ねた。

「あら、何でしょうね。どことなくカラスに似ているけど……」

「でも、あれって青色だよね?」

「確かにそうよね」

その親子はにこやかな表情で言った。

 

「カァー」

 

 その鳥の鳴き声は、この町全体に響いたのであった。

                 (完)

「探偵ナイトスクープ」

「探偵ナイトスクープ」は関西の人気番組でもはや知名度は全国区。

その番組名の「ナイト」の部分であるが、これ実は、

夜の「night」ではなく、

騎士の「knight」であったこと、皆さんご存知であろうか。

もし私だけが知らなかったのなら、お恥ずかしい限りである。

サメの映画

最近「シャーク・ナイト(2011年/米)」という映画を観た。録画していたものだ。

大学生7人がバカンスで塩水湖にやってくるのだが、湖にはいるはずのない大量の獰猛なサメに遭遇するという内容で、サメ映画では極めて「あるある」のパニック映画にあてはまる。

しかし、最近はこのような映画もみることもなく、それなりに楽しむことはできた。

観た後に思ったのだが、サメ映画のネタもいい加減出尽くしているのではないだろうか?

そこで考えてみた。

映画の前半は、いつものように人間視点でサメの恐怖を描く。後半は巻き戻したような形で、今度はサメの視点で描く。

一見パニック映画だが、実はサメの世界にもいろんな葛藤があり、ハートウォーミングな内容というアイデアはどうだろうか?

他の動物で似たような設定があったかもしれないが、サメでやってみると面白いかもしれない。

どこかの監督さん、作ってもらえたら必ず観させてもらいますので。